人気ブログランキング | 話題のタグを見る

nshima.blog

nshima.exblog.jp
ブログトップ
2011年 07月 14日

NY、カナダ、アメリカ西部:ナイアガラの病院 夏旅行2004年 U.S., Canada

NY、カナダ、アメリカ西部:ナイアガラの病院 夏旅行2004年 U.S., Canada_a0183811_12355096.jpg
NY、カナダ、アメリカ西部:ナイアガラの病院 夏旅行2004年 U.S., Canada_a0183811_12353325.jpg

ニュージャージー州ニューアークリバティー空港に到着する頃には、もうパチンパチンに喉が腫れていた。嚥下痛が伴っていた。食べるのはもちろん飲み込むたびに鋭い痛みが喉の奥に走った。バッファロー空港へは1時間半くらいだった。空港からカナダ側のナイアガラフォールズ市までタクシーで移動した。ナイアガラ川を渡りカナダへの国境を越えた時には、もう我慢の限界だった。予約しておいたホテルに荷物を置いてすぐにナイアガラフォールズ市内の病院へ行った。事情を説明し一刻も我慢出来ないと説明したが全く無視されて1時間以上待たされた。白人女性の医師だった。以前も同じような症状で治療したことがあったので予想はしていたが、結局、抗生剤の点滴を一晩中この病院で続けることになった。但し治療を行う前に支払は大丈夫かと念を押してきた。クレジットカードを見て納得していたが、アメリカ人の中には治療だけ済ませて国境を越えて逃げてしまう奴がいるからなどと説明していた。

寝て点滴をする腕を置いた状態で両脇が3cmしか残っていないような狭い診療用ベットに横たわった。ほとんど一晩動けない状態だった。それよりも気になったのは室温が白人の感覚に合わせてあり、ほとんど冷蔵庫の中にいるのと同じだった。寒くて我慢出来ないから毛布がほしいとリクエストした。体温を測った後、あなたは熱があるから毛布は必要ないと言われた。しかし、我慢できる寒さではなかった。ガタガタと震えるような状態になり強く要求するとしようがない口ぶりで毛布を持ってきてくれた。

次の朝、一旦体の調子は良くなったが、夕方からまた具合が悪くなり、次の日再度病院を訪れた。今度診てくれたのは、中国系の男性医師だった。非常に丁寧に親身になって対応してくれた、旅行中の病気を心配してくれた。次第にその中国系医師が病院の中で置かれている位置づけが、他のスタッフとのやりとりを見ているとどのようなものかはっきりとわかってきた。別の状況でも似たような経験を今まで何度か経験したことがあった。看護婦の白人女性は、俺と話する時に、チーフ、・・・・、チーフ・・・・と呼びかけてきた。十分にその言葉の意図がわかった。

病気のために予定が大幅に変わった。妻が飛行機をキャンセルし、フライト変更のためカナダ滞在が長くなり急遽トロントへ行ってみることにした。

病気のおかげで、完全に煙草を止めることになった。

NY、カナダ、アメリカ西部:ナイアガラの病院 夏旅行2004年 U.S., Canada_a0183811_1325730.jpg
NY、カナダ、アメリカ西部:ナイアガラの病院 夏旅行2004年 U.S., Canada_a0183811_1333835.jpg



Twitter「つぶやく」ボタン
にほんブログ村 旅行ブログ
人気ブログランキングへ

by nshimaafrica | 2011-07-14 12:37 | ★健康、病気、事故 | Comments(0)


<< ドッグソルジャー (1978)...      あの胸にもういちど (1968... >>