旭川に住んでいた1995年の冬、妻の古くからのあるオーストラリア人が遊びに来た。真冬の気温と湿度で風邪をひいた様子だった。熱も出た。見るからに具合がわるかった。余った抗生物質があったのですすめたが頑としていらないの一点張りだった。薬はできるだけ呑まぬ主義だった。合併症を防ぐ名目の必要以上の抗生物質などは風邪に対して全く意味がないのが現在の常識。当時の彼女の判断はあながち間違いだったとは思えない。
80年代末や90年代は、風邪症状が出て病院へ行くと安直に第三世代の抗生物質が処方される一般的風潮があった。医者や薬業界等に踊らされていたのだ。まずは厚生省の方針だったのだろう。抗生物質の耐性が当時から問題にされていたが、当時は処方が緩かった。その業界にほんの少しだけ関係していたから背景がわかる。
鬱にしても同じだ。プロザックを世界中で魔法の薬と信じ込ませ、さらに「SSRI」みたいな抗鬱剤が現れて、何故か逆に鬱症状の人達が増える。そんなバカなことが何年も続き、結局すぐ抗鬱剤を施すのはまずいのではないかの風潮へ切り替わった。当事者だったから尚更わかる。
製薬会社は患者をつくって利益を絞り出してきたとしか思えない。なんてことはない、マッチポンプってやつだ。
火の気のない場所に、石油かガソリンを持ち込んで火をおこし、つまり火の気をつくりだし煙を出し、ボーボーと燃やして、消防車を呼んで水をかけて一応消したことにする。放火魔と消防署の機能を完璧に兼ねているわけだ。しかも燃料代と消防代金はやればやるほど経費がかかるし、別の人間にとってはとても儲かる。燃やされた場所や当事者は被害をこうむるだけ。事を起こすだけの真っ当なロジックなど、どす黒い利益以外、元々最初から存在しないのだ。
ベトナム戦争や湾岸戦争、イラク戦争も元の論理は全く同じ。今、安倍のやっていることも同じだが、昔よりも透けて見えやすくなっているのが多少の違いか。同時に嘘のつき方も変化しているかもしれない。
にほんブログ村 全世界情報