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2011年 01月 10日

アメリカ:22年ぶりにアメリカを旅して 2002年7月 U.S.

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今カリブ海の小さな島で一ヶ月前に終わってしまったアメリカの旅を思い出している。
22年ぶりのアメリカ西部は相変わらずであった。圧倒的な広さの中、夏の光線は強く、景色は微塵の湿気も含まず、カスケード山脈やコロンビア河に時間の経過は関係ない様であった。旅はシアトルから始まりアイダホ、モンタナ、ワイオミング、アイダホ、オレゴンの各州を巡りシアトルに戻り、空路カリフォルニア州へ飛ぶという行程をとった。

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アメリカは車なしではどこへも行きようがない。レンタカーで旅立つ前にアトラス地図でワシントン州のページを開き、ウェナチー、グランドクーリー、スポーケン、自然に昔懐かしい響きの町を探していた。初めのうち立ち寄るつもりもなかったかつての農場だがウェナチーに一泊し、少しずつ記憶を呼び覚まさせられるにつれハンドルをオロンドの方向へ向けていた。

不意の訪問者に対して思いがけなくも農場主の娘兄弟は暖かく歓迎してくれた。農場主夫妻はすでに9年前に他界しており、当時5歳だった農場主の孫は堂々とした体躯になり眼だけ当時の面影を残していた。農場の関係者も世代交代していた。大企業の資本が入りウェナチーの町並みも半分以上見知らぬ場所になっていたことや、90年代に小規模果樹園はことごとく吸収され勝ち組と負け組に二分していったこと等、確実に時間が過ぎていたのは当然自分だけではなかったことをアメリカという土地で改めて想った。

農場主が亡きあと息子の方針は成功したが、家族経営から企業へと変化し姉妹夫婦は自ら果樹園経営から離れていったことなどを聞くにつれある種の空しさも感じざるを得なかった。企業形態をとる大規模農家や農業関連企業を政策の下で保護し国内の小規模農家を駆逐し、一方、第三世界へはWTOを介して自由貿易を迫るという傲慢なアメリカの国内農業政策と世界戦略に違いはないようだ。

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たぶん今も昔も研修生は、自分が働く農場とその周辺の町しか知らない傾向があるのではないだろうか。
昔の制度を考える時、3ヶ月間の大学での特別講義や最後のアメリカ横断旅行などは本人の意識以上に大きな価値があったことを今尚、気がついていない研修生OBが多いのではないだろうか。移動する喜びは知らない土地を見ることだとつくづく思う。車でならなお更である。

ワシントン州からコロンビア平原を州道で横切り、モンタナ州グレーシャー国立公園、モンタナ州中央部、ワイオミング州イエローストーン国立公園を走った。何千回と形容されてきたアメリカを語る言葉、つまり広いということを徹底的に認識させられる。

アフリカやオーストラリアを車で旅しても確かに広いがそれよりまず「遠い」という想いが先に来てしまう。
しかもアメリカの場合、国の隅々まで整備されたインターステートハイウェーはドライバーを戸惑わすようなことは一切なく実にわかり易く快適だ。州道にしてもロッキー山脈を越えてしまうと75マイル走行表示になり対面通行ながらもインターステートと同じように高速走行が可能である。基本的な道路幅が広いので高速の怖さも感じない。

トヨタカムリで走りながら、追越して行くGMとかフォードのピックアップの大きさを見て驚く。これはトヨタランドクルーザーを2シーターのピックアップサイズにして更にひと周りふた周り大きくしたものではないかと。世界中どこへ行ってもアメリカ車のサイズにあった道路など存在しない。自然に日本車サイズが慣れる基準になってしまっていたのだ。

22年前なんと普通に受け入れたことか。また、人一人が移動するのに、かくも大きな鉄の塊が必要なのか、そしてとんでもない油が消費されているのだろうか。ふと別の大陸、アフリカの人々の生活を想い浮かべる時、どれだけ同じ人間の消費する一人当たりのエネルギー量に差があるのかと思わずにいられない。それはデータを見るに及ばず皮膚感覚として捉えられるであろう。ブッシュのようなアメリカ人からすれば人間は同じではなく、外国の人間とアメリカの人間であり、だから当然違うのだと言うにちがいない。

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アメリカは旗であふれていた。どこの田舎へ行っても星条旗が舞っていた。モーテルのサインボードにはGod bless Americaが並べられていた。2001年9月11日以後、アメリカ人の世界の果てはカリフォルニアとニューヨークになってしまった。22年前の僕の世界の果てもそうだったような気がする。

アイダホ州南部の町マウンテンホームから短期実習の3ヶ月間働いたスネークリバー沿いのグランドビューへ行ってみようと計画していた。だが、途中の町マウンテンホームは22年の前のハンドライン(潅水パイプ移動作業)の悪夢を蘇らせるのに十分過ぎるフライパンのような暑さだった。一生行くまいと思った。

カリフォルニアは、サンフランシスコからビッグサーの海岸線を南下、サンシメオン、サンオーキンバレーを横切り、セコイヤ国立公園、ヨセミテ国立公園を回った。素晴らしい景色だった。でも一番大切な思い出はアメリカ北西部にあったような気がする。

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by nshimaafrica | 2011-01-10 16:22 | ★溜まった妄想 | Comments(0)


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