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2011年 02月 15日

ベトナム:ベトナムで今アメリカを考える 2011年2月

西湖 Hanoi

ベトナム:ベトナムで今アメリカを考える 2011年2月_a0183811_1303317.jpg

様々な人種、民族は、当然様々な考え方、慣習、習慣を持ち、他の人種、民族から影響を受け変化し維持されてきた。どの人種、民族グループにも、その中のルールとしての習慣、慣習、考え方に縛られず抜け出したいと欲求を持つ個人、集団が当然発生してくる。仮に完結したグループ(民族、人種、国)であるなら権力者がとって代わるだけである。そのシステム自体が変化する可能性などあろうはずがない。必ず異端が生まれ、独立しようとする。他のグループの利害を犯すようであれば争い、戦争が起きる。アメリカインディアンという存在を無視しながら、新参者にとって、ヨーロッパからの異端の連中にとって、自分らの理想を実現する土地がアメリカ大陸だったわけである。異端の原理は異端のルールを犯さない限り他の異端を受け入れることで、異端は拡張し拡大する。

つまり、アメリカという国は世界の人種、民族の最小公倍数として存在するのではないかと考える。アメリカのルール以外はあらゆる人間の根本的欲求を認めようとする社会がアメリカなのだ。だから、世界中でアメリカは嫌われる一方、風穴としてアメリカに憧れる人々が必ず存在するのだ。

アメリカの最小公倍数としてのルールが第二次世界大戦後、メディア(映画などの娯楽も含め)によって広がり、1980年代後半以降パソコンというツールが生まれインターネットの拡大がさらに拍車をかけた。益々アメリカ社会の考え方の種子は知らず知らずのうちに世界中にばらまかれ、浸透し育っていった。同時に、社会主義崩壊後、アメリカによる世界支配の経済的負担も増大することが容易に想像された。将来を見据えアメリカの一極支配では立ち行かなくなってしまうことを恐れ、多極化を画策され、その結果、最初の湾岸戦争というシナリオに導かれた。

しかもそのプロセスは現在も着々と進行中である。中東の様々な国でも。

妄想かもしれないが。




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by nshimaafrica | 2011-02-15 13:02 | ★溜まった妄想 | Comments(0)


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