1987年11月末~12月 、3週間弱の旅行期間だったのではないだろうか、よく思い出せないが結婚してしばらくしてからの新婚旅行だった。東京、ニューデリー往復、予定は未定。ニューデリー到着後、碌々観光しないまま市内でネパール行きの航空券を購入しすぐにカトマンズへ移動した。インドを十分経験しないままネパールまで来てしまったが、それでもネパールの方が肩が凝らないと思ったのが第一印象だった。当時でもカトマンズの大気汚染は有名で観光して回るだけで喉が変になった。調子は悪いのだが日数がもったいないと思い、スワヤンブナート、ボダナートなど有名な観光地をまわり、他に昔の友人宅を訪ねたりもした。カトマンズからポカラまで小型飛行機で下方にヒマラヤ山脈を眺めながら到着、湖の近くの宿でゆっくりと過ごした。周りにバナナが育ち、同じ風景の中に遠くアンナプルナが見えた。アンモナイト売りと甘納豆売りを間違えたりもした。近くに鯉のぼりを立てた家があった。たぶん協力隊員みたいな日本人が住んでいたのだろう。
体の調子は次第に悪くなっていった。水があたったのか、油があたったのか消化器系がきちんと機能していないのを感じていた。ポカラを夜中か朝なのかとにかく暗いうちに現在のワーラーナシー(バナラシ-ベナレス)行国際バスは出発した。山道を延々と下りインド平原、国境を越える前か後か忘れたが、今まで経験した中で一番汚い安宿に泊まった。シーツに血がついていた。翌朝、バスが発車してからトイレに行きたくなった日本人の若者とそのリクエストにとりあわない無慈悲なバス運転手とのやりとり以外何も覚えていない。記憶はなく、ひとっ飛びに夜バナラシに到着した。ホテルを確保してガンジス河のガート周辺を散策し、安ホテルに戻ったころから本格的に体調が崩れていった。
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