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2011年 07月 24日

アメリカ: 映画と農場の生活 1980年~1982年 U.S.A.

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農場での生活は極めて単調だった。唯一の楽しみは、1週間に一度ウェナチー(Wenatchee)へ行き、映画を見る事だった。買出しも兼ねて仲間が二、三人集まり一緒に夕食を食べた後、必ずと言っていいほど映画を見た。どうも地元の人々も同じようで、映画が楽しみという人が多かった。それほど外部からの刺激が少ない生活をしていたのだと思う。当時は衛星放送を家庭で見る事は殆どなく、ケーブルテレビもなく、CNNもなく、田舎ではABC、CBS、NBCの3大ネットワークのテレビだけだった。週末、1時間ほど離れた町へ行き、最新の映画を見る、これが人々の普段の楽しみだった。ウェナチーには確か3軒の映画館があった。一軒は町の中でロードショー2本、どこにあるか忘れたしまったが、うらぶれたドライビングシアター、もう1軒はウェナチーにあるシネマコンプレックスだった。当時でも既に複数の映画を上映できるシネマコンプレックスの造りになっていた。もちろんやたらに広い駐車場がついていた。まだまだ日本とアメリカには何らかの差がある時代だった。

「インディアナ・ジョーンズ」や「コナン・ザ・グレート」もウェナチーで見た気がする。今でも思い出すのは、タイトルは忘れてしまったが、ある二流のアクション映画だった。ローリングストーンズのサティスファクションの大音響とともに、ヘリコプターからアメリカ人兵士が出てきて悪人のメキシコ人にぶっ放すというものだった。思わず拍手喝采で胸がすっとした覚えがある。今から考えると、自分の立ち位置を無意識に白人側に置いていた愚かさに気がつかない自分にあきれるが、当時逆にメキシコ人労働者から見ると農場で働く東洋系なんて完全に我々の下の階層であると思い込んでいたことに間違いない。だが、それは英語を話せない次元であるという大前提があってのことだった。

人種を問わずアメリカ人で英語が母国語なら、何系だろうがコンプレックスを感じることは少なかったであろうと思える。但し、ワシントン、オレゴン、カリフォルニア州などの民主党が強い地域ならばではあるが。今でも一旦内陸に入り、共和党が強い地域に入れば状況が一変するのは明らかな事実だ。実際、疑いなく不愉快で怖い思いもする。

まずは映画のないアメリカの生活など想像もできなかった。

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by nshimaafrica | 2011-07-24 10:53 | 派米農業研修生(USA) | Comments(0)


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