1980年10月最後の休日、アイダホを離れる前、農場主が自分が所有するセスナで日本人研修生3人をアイダホ州北部の針葉樹林地帯まで連れて行ってくれた。どのくらい飛んだのか全く思い出せないが、到着したのは、奥深い山の中だった。山と山の際に滑走路があり危なげなく降りることができた。滑走路の端には針葉樹に囲まれた小屋があった。中を覗くと胡散臭そうな男がいたことを覚えている。薄暗く西部劇に出てくるような雰囲気だった。
記憶はそこまでだが、その農場主は、十代で土地を買いジャガイモをつくり、州都ボイジの隣町ナンパから次々と農場を拡張し続けて成功したアイダホ州でも有名な農家のひとつだった。いわゆる勝ち組の一人だった。強気と傲慢が同居しながらエネルギーに満ち溢れた性格だったからかもしれない。当時、彼の農場のひとつがナンパから数時間離れたグランドビューにもあった。8月、9月の2ヶ月もの間、俺ともう一人の研修生がその農場のフォアマンから奴隷のようにこきつかわれていたことになる。
後日、何年も経ってから派米農業研修生のO回生(15回生)同期会が東京で開催されたことがあった。その時、かの農場で長期研修生として働いていた研修生から、あの農場主はすでに死んでしまった、もうこの世にはいないとの事を伝え聞いた。
セスナの墜落事故だったらしい。
ナンパ
アイダホの森林地帯