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2016年 07月 29日

どこへ行っても金太郎飴では気持ち悪い

どこへ行っても金太郎飴では気持ち悪い_a0183811_9435833.jpg今日も朝から雨だ。低気圧なのだろうが気分は悪くない。

1976年、田舎から出ていわゆる東京の大学に入り、否が応でも東京地方でも通じる言葉を話さなければならなくなった。東北のある地域が母語なので、東京ではほとんど誰からも聞き返されるはめになるのは明らかだった。異なる言葉を話す初めての経験だった。県内で田舎から市内へ出てきた時も多少のショックはあったが。

時々妄想してしまう。あの青森県出身「寺山修司」が存命中、話す時は頭の隅にいつも言葉に対する何かしらのコンプレックスを持っていたのではないかなどと。コンプレックス云々は別にして、発音に関し、訛りというよりもほとんど別の言語なのだ。母語なのだ。

英語を話す時の微妙な発音がし易いのは、田舎の言葉の発音に近い音を容易に出せるからではないかと真面目に思う。録音した自分の日本語を聞くと、発音、アクセントは相変わらずだ。十分東北訛りが感じられる。自分の出身に近い音には敏感になるが、同じ地方でも九州出身者等となると、標準語を話す限り、どこの訛りなのかはっきりとわからない。また、アクセントの違いなどさっぱり区別がつかない。俺にとっては、「橋」も「箸」も「端」も全て同じ発音だ。

北海道の場合はユニークだ。自分達が話すのはほとんど標準語と同じだと錯覚している人が多くいる。俺が知る限り間違いなく多い。例えば、大泉洋などが完璧に北海道弁のアクセントで話していることに全く気づいていないようだ。

午後6時からの北海道内NHKの某アナウンサーが話すNHK標準語でさえ、端々に東北地方の濁音をかすかにでも感じてしまう。

NHK標準語化がいいなどとは、これっぽっちもいいとは思っていない。どこへ行っても金太郎飴では気持ち悪い。

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by nshimaafrica | 2016-07-29 09:48 | ★溜まった妄想 | Comments(0)


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