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カテゴリ:1986年-Malawi( 121 )


2017年 11月 04日

結構大きなダンボール箱だった

彼の顔は未だにちゃんと覚えている。
名前はもう思い出せない。

彼はいわゆる日本でいう所の上級の国家公務員だった。
高級住宅地の一軒家に家族とともに住んでいた。
それだけで十分人も羨む生活だった。

職場の中で順番が回ってきたこともあり、
やっとのことで日本へ研修で行く機会を得た。
だが、その時、既にある病に冒されていた。
アフリカ発祥の病気とも言われているあの病気だ。

たぶん、本人もその自覚があったであろう。
検査は条件に含まれていなかった。
含めていけなかったのだ。
せっかくの機会を逃したくなかったのだろう。
周りの彼に関わる人間は、婉曲に辞退することを望んだが、
彼は受け付けなかった。
自分の意志を押し通した。

日本へ渡り、当初の3ヶ月はなんとか持ったようだが、
その後急激に衰弱し、やむおえず帰国することになった。

帰国便は、何故か首都ではなく二番目に大きいB市に着いた。
たまたま用事で首都のL市からB市へ車で出張中だった日本人Mさんが、
空港で出迎えた。

3、4時間かかってMさんとともに彼はL市に戻ることができた。
自宅に着いた時、すでにとっぷりと日が暮れていた。
玄関の薄明かりの中にちらりと見えたのは、
結構な大きさのダンボール箱だった。

1ヶ月後、彼は帰らぬ人となった。

真新しい日本製のテレビが残った。




by nshimaafrica | 2017-11-04 17:15 | 1986年-Malawi | Trackback | Comments(0)
2017年 10月 13日

一人でクスクス

ふいに思い出して、くだらないと思いつつ、
一人でクスクス笑ってしまう。

旭川グランドホテルが営業を始めた年だから1994年。23年も前の話だ。

営業開始したばかりの黒光りする旭川グランドホテルだった。
最上階のレストランに招待されることになった。
妻の仕事の関係でついでの立場だった。

いわゆる地元名士が何人か集まる面子だった。
自己紹介になり、A社旭川支店で働いていると言ったのを聞いてか、
誰かが、「社長が有名ですね。」「そんなに緊張しなくてもいいですよ」と言った。

最初に何のことかわからなかった。

微塵も緊張などしていなかったのだから。
また、会社と個人をセットにして見る価値観が露骨過ぎた。

こういった高級な場に来た事などきっとないだろうから、そんなに緊張しなくてもいい。
気を使ったつもりか。

たぶん背中が丸まっていたのだろう。俺の姿勢はよくない。

料理はそれなりにおいしかった。

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by nshimaafrica | 2017-10-13 18:42 | 1986年-Malawi | Trackback | Comments(0)
2017年 09月 18日

安普請の家と固定電話

台風18号が北海道に近づいている。大雨が降りそうだ。

20年程前、アフリカのマラウイで住んでいた家の中ではは、一旦雨が降り出すと、
トタン屋根を叩く雨のせいで会話が出来ないほどうるさくなった。

安普請の家かきちんとした家のつくりかは、雨季に入らないと見分けがつかない。
乾季にいい住宅と思えても、雨季に雨が激しくなるとうるさいだけでなく、
雨漏りが必ず始まる。チョロチョロした雨漏りが、1ヶ所だけでなく数カ所へ広がっていく。
よくぞ漏電しなかったなと思い返している。

当時、雨は固定電話の繋がり具合へ間違いなく影響を及ぼした。

ある十数年前のドキュメンタリーの中で、アフリカからイギリスへ移住した腐敗政治家の奥さんが、
電話の会話中、都合の悪い話になると「電話の音が聞こえにくい。雨のせいかも」と言った。
その言い訳に大笑いしてしまったことがある。
イギリスで雨が降っても、電話が繋がりにくくなることなど絶対にありえないことを全く知らず、
自分の今までの常識で誤魔化そうとしていたのだ。

たぶん、現在は固定電話のから携帯やスマホの時代へほぼ確実に変わっているので、
雨が降ると固定電話が繋がりにくい問題は、解消というより避けられていると想像できる。
現在の情況はどうなのだろうか。


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by nshimaafrica | 2017-09-18 11:07 | 1986年-Malawi | Trackback | Comments(0)
2017年 09月 08日

今まで詐欺に遭いそうになったこと

今まで詐欺に遭いそうになったことが2回ある。

2回目: 家族で2000年に初めてタイのバンコクを訪ねた時だ。
後から考えると、「地球の歩き方」に書いてあるような詐欺の手口そのものだった。
事実、その通りに引っ掛かりそうになったのだから、オレオレ詐欺に引っかかる老人みたいなものだ。

チャオプラヤー川沿いのどこかだったと思う。
調子のいいトゥクトゥクに気をつけるのは、当たり前と事前にわかっているつもりだった。
だが、どこどこのお寺がいいと安い料金を言われ、考えることなく乗ってしまった。
早速、そのお寺に着いた。
ぶらぶらと観光していると、どこからともなく男が現れた。

珍しく英語で話しかけてきた。
お寺の歴史等の世間話をしていると近くに宝石の取引所があるから、
見に行かないかと誘った。
早速、待っていたトゥクトゥクに乗り込んだ。
行先を告げる前に「近くの宝石の取引所」と運転手が口走ったのを聞いて、ふと我に帰った。
明らかにおかしい。
すぐにトゥクトゥクから降りた。

振り返ることなく、慌ててその場を立ち去った。

1回目: 東京にいた1986年~1991年の間だ。

アパートへの鍋の押しかけデモンストレーション訪問販売だった。
最後まで拒否して事なきを得た。
思い出すと助手のおばさんは、最初から最後まで暗い顔をしていた。

どんな気持ちで助手のアルバイトをやっていたのだろうか。


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by nshimaafrica | 2017-09-08 00:58 | 1986年-Malawi | Trackback | Comments(0)
2017年 08月 10日

記憶の底に沈んだまま

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女房から2007年前後の出来事であれはどうだった、こうだったと言われるのだが思い出せない。
近くの山の公園の施設での出来事など全く思い出せない。
写真を撮った場所や季節は、辛うじて思い出せるが、それ以外は記憶の底に沈んだままである。

1992年から1997年までの間に、家族で旭川から札幌を経由して
夜行列車カシオペアのコンパートメントに乗り上野まで乗った写真はある。
海底トンネルを通過した記憶はあるが、やはり詳しくは思い出せない。
快適だったのは覚えている。

ある出来事の区切りがついた時期の記憶は鮮明だ。特に青春18きっぷを使って
東京から山口県まであちらこちらへ立ち寄ったのは未だに印象的だ。
写真を撮ったかのだろうか、押し入れを探してみないとわからない。

山口県内だったか、父の友人だった方からフグちりをごちそうになった。


by nshimaafrica | 2017-08-10 08:02 | 1986年-Malawi | Trackback | Comments(0)
2017年 08月 07日

ふと口にした言葉

google mapから
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マラウイでのある責任者がふと口にした言葉が今でも忘れられない。日本人だ。その地位で働くのだからもちろんそれなりの実績を積み上げてきた人間である。だが、彼は決して思慮深くはない。
物事を抽象的に捉えるタイプではない。仕事を終えて一人暮らしにしては大き過ぎる借家へ帰ると、真っ先に卵と食べる実益を兼ねて飼う鶏たちの世話、それにゴルフが趣味だった。家族は日本へ残していた。

その彼が俺が働いていた施設の視察に久方ぶりにやってきた。一通り見終わった後、施設を取り囲む煉瓦塀のすぐ外側に掘立小屋を勝手に建てて警備係として生活する家族に気がついた。子供が裸足で地面に座り、炊事のために薪を燃やしていた。マラウイならどこでも普通に見られる光景だった。

「あの家族と俺たちは何が違うのだろう?、何も違わない。たまたま生まれた場所が違うだけだ」

そんな言葉が強く印象に残った。本人が考えたというより、どこからか仕入れてきた言動かもしれなかったが、
そんなことはどうでもよかった。正しいと思った。
ちょっとしたさじ加減で、違う場所に生まれ、目の前にあるような生活をしていたのかもしれない。
第三世界なら尚更それが露骨に感じる。あまりに日常に慣れすぎて想像力が欠落していたことに急に気づかされた。

いつの世も第三世界と言わずとも日本も含め、世界中であらゆる現象に不条理が満ち満ちている。
インターネットが世界中に普及するにつれ、皆が自分の立ち位置に気が付きだした。これは大きな変化。

・・急に思い出した。

自分自身にあのマラウイ人家族のようなたくましい生活力があるかと問われれば、甚だ疑問だ。

1998年


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by nshimaafrica | 2017-08-07 09:17 | 1986年-Malawi | Trackback | Comments(0)
2017年 07月 17日

地に足が着いていない感覚

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今まで最も地に足が着いていないフワフワしたような感覚になったのは、成田からマラウイへ発った日だった。
例えると、映画「マトリックス」の中で、モフィアスがネオに赤と青のピルを選ばせられるような気分だった。
恐怖ではなく、映画のように鏡の中へ指が入り出した感だった。もう戻れないと思った。
あの瞬間、脳内ではアドレナリンが出っぱなしになっていたのだろう。
若いと言っても既に40歳に手が届く年齢に近づいていたのに情けない話だ。
他人なら何も思わないことも、奥手の俺はたぶんよけい大袈裟に感じたのだろう。
いい点があったとしたら、小心者の方が、警戒感が強くなり防衛本能も100%発揮できたことだ。

日本国内でわざわざもめ事が起きそうな所、金のかかりそうな遊びなど全く興味もないし、
逆に敢えて通り過ぎたいと思って生活している。
その点では、完全に人並み以下の望みと生活レベルであることに十分納得している。
つまらない、世の常識がないと言われても少しも気にならない。
だが、仮に地方の保守的な日本の田舎で生活をするなら、かなり複雑な感情に苛まれると思う。
まだまだ達観はできていない。若かった頃のトラウマが未だに顔を出すことがある。


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by nshimaafrica | 2017-07-17 08:45 | 1986年-Malawi | Trackback | Comments(0)
2017年 07月 16日

ワンルームマンション付近での出来事

都会の喧騒を避けるのと通勤の便利さを考え、都営三田線中延周辺で
物件を探した。1986年くらいか。

大田区洗足池の近くのワンルームマンションの1階に住んだ。つまり鉄筋のアパートだった。
当時、「ワンルーム云々」という言葉に対するなんとなく憧れがあった。
壁が薄くない隣の音が聞こえてこないコンクリートでできた建物の1室に住みたいと思った。
就職できたので、少しぐらい生活のレベルを高めてもいいと思った。

祐天寺の仮住まいから引っ越してきたが、荷物はほとんどなかった。
ベッドがなかったので、布団を洋間にひいて寝た。辺りが静かになると
ブーンという機械音が床から直接伝わってきた。
まだ部屋に慣れていなかっただけかもしれない。

初夏の夜、暑いので部屋のあかりを消し、暗くして窓を開けて寝ていた。
眠れなかった。

草を切るような音が繰り返し耳に響いてきた。
アパートの建物の近くで、誰かがゴルフのスイングの練習をしていた様子。

発作的に「うるさい」と叫んだ。スイングの音が急に止むと大声で「誰だ、今言ったのは?」
どこの部屋から苦情を言われたのかわからない様子だった。
ただじゃおかないみたなことをブツブツほざいていた。

布団にくるまって息を殺して気づかれないようにしていた。


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by nshimaafrica | 2017-07-16 10:36 | 1986年-Malawi | Trackback | Comments(0)
2017年 07月 12日

続き「仕事」の記憶は定着しない

英虞湾で真珠の養殖を見た。
明治村へ行ったと思う。
渥美半島の先端に行った。
中小企業への助言を女将がすることで有名だった知多の旅館で、女将自身がシャコを剥いてくれた。
磐田の農業試験場に1ケ月以上いた。
高速道路関越道を行ったり来たりした。
首都高を回るだけ回った。
葛西臨海公園へ行った。
箱根のロープウェイに乗った。
所沢ATCへ行った。
成田空港の管制塔へ登った。
工事中の東京駅地下へ潜った。
工事中の営団地下鉄南北線を見学した。
つくばへ行くのに荒川沖か牛久で何回も乗り換えた。
筑波山へ登った。
木場の貯木場へ2週間通った。
小名浜の合板工場の近くの旅館に1ケ月泊った。
コシヒカリの産地と弥彦山の周りを動き回った。
震災前の石巻の牡蠣の養殖場、海へ行った。
八戸の蕪島ウミネコ繁殖地へ行った。
豊平峡ダムを見た。
北大近くの北12条近くのホテルに泊った時、5月に雪がちらつき驚いた。

思い出せる分だけ書き出した。
ほとんど忘れてしまっている。

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by nshimaafrica | 2017-07-12 08:07 | 1986年-Malawi | Trackback | Comments(0)
2017年 07月 11日

「仕事」の記憶は定着しない

過去に「仕事」で巡った場所の記憶は、ほとんど定着しない。
写真もない。
初回を除いて、あとは全て断片的な記憶の寄せ集め。
何回目の訪問かも全く不明。主体的でない旅行はこんなものだ。

南から

桜島への船に乗った。
城山のホテルに泊まった。
火山灰が結構積もっていた。
大淀川の上流へ行った。
熊本県にある林野庁の宿舎に泊まった。畳ベッドで毎朝布団のズレを直した。
熊本市の近くの金峰山へ行った。
噴火前の普賢岳の前を通った。
五木の山の中へ入った。ここは10cmぐらい雪が積もると言われ無理して驚いた。
辛子レンコン、馬肉を食べた。
長崎ちゃんぽんが発祥した店でちゃんぽんを食べた。
長崎市でワシントン州N果樹園で働いていた同期の派米農業研修生と会った。
福岡空港から上五島へセスナで飛んだ時、地上を見て怖くてちびりそうになった。
博多の近くで生まれて初めて豚骨ラーメンを食べた。
道後温泉の近くに泊まって、道後温泉へ行けなかった。
広島の牡蠣加工工場の責任者が、目が細い奴は信用できないと言った。
広島で音が全く反響しない部屋に入った。
広島から新幹線で東京へ戻った。
山の上の岡山空港を見学した。
鳥取砂丘へ行った。
震災前の神戸の中華街へ行った。
奈良の大仏を見た。
京都京阪ホテルが好きだった。
金沢駅の近くのビジネスホテルに泊まった。
河北潟を通った。
樫原神宮へ行った。
奈良県の山の中のダムを見に行った。
続く



by nshimaafrica | 2017-07-11 07:57 | 1986年-Malawi | Trackback | Comments(0)