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カテゴリ:Trinidad の頃( 96 )


2019年 03月 15日

ナイアガラフォールズの自然落下 

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大げさと言われればそれまでだが、未だに染み付いている。2004年。
ふいに、エレベータの恐怖を思い出すことがある。
カナダのナイアガラフォールズ市で泊まったホテルだった。

当時、病院へ駆け込んだくらい体調もわるかったせいもある。* 益々輪をかけたのかもしれない。

泊まった部屋はたぶん6階か7階以上の高さだったと思う。
階段で昇り降りできるような高さではなかった。
どうしてもエレベータを使わざるを得なかった。
昇りはどうってことはなかった。

問題は下りだった。
1階へのボタンを押した後、動くのを感じたのだが、まさしく「自然落下」だった。
0.何秒後に、危うく吊るされた空間にいることに気がつく。
脇の下と耳の後ろから冷たい汗が吹き出すのがすぐにわかった。

以後、乗るたびに自然落下の感覚を味わうしかなかった。
毎回、恐怖を覚悟しながら乗り込んだのを思い出す。
忘れもしない手足の痺れ。

もちろんジェット機の乱気流も苦手だが、エレベータ内で経験したくない。

たぶんあそこで働くホテル従業員は慣れていたのだろう。

トリニダード島の日々の生活では、ナイアガラほどではないが別のエレベータ問題がいつも気になっていた。



by nshimaafrica | 2019-03-15 10:22 | Trinidad の頃 | Trackback | Comments(0)
2017年 11月 14日

心地よく思い出せる

当時の時間が穏やかに思い出せる。

by nshimaafrica | 2017-11-14 08:06 | Trinidad の頃 | Trackback | Comments(0)
2017年 08月 26日

怖い、怖いと娘は言った

Google mapから
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家族3人でアメリ西部のモンタナ州を中心にレンタカーでドライブ旅行した時のことだった。
旅はほとんど終わり、最初にレンタカーを返すためにビリングスへ戻る途中だった。

娘は当時まだ中学生くらいだったろうか。
はっきりと思い出せないがまだ子供だった。

大陸の広さは娘にとって単調なドライブに過ぎず、飽々していた様子だった。
周りの景色に大きな変化はなく、つまらないと言う。
時々寝たり起きたりの繰り返しだった。

突然、「何か見える」。
たくさん人が殺されて苦しんでいるのが見えると言い出した。
からかわれているのかと思ったが、本人は至って真面目だった。
ふざけた表情ではなかった。
紛れもなく冗談ではなかった。

怖い、怖いと娘は言った。

アメリカインディアン居留地を横目にドライブをしていたことに気がつかなかった。
程なくしてThe Battle of the Little Bighorn の表示が現れた。

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実はこれが初めてではなかった。

数年ほど遡る。高知県須崎の高台の借家の中で同じ事が起きた。
娘だけ着物を着た女の子を見えたらしい。
妻もその場にいて、どうして見えないのかと言われた。

借家の裏山が竹林と墓地だった。


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by nshimaafrica | 2017-08-26 09:22 | Trinidad の頃 | Trackback | Comments(0)
2017年 08月 25日

思い込んでしまう恐怖

ヒューストンで乗り継ぎのために泊まったモーテルでの出来事だった。

夜、誰かが俺の部屋を開けようとした。
カードキーが差し込まれたかすかな音の後、急にドアが開いた。
突然ドアチェーンが伸びた音がした。相手は部屋に誰かいることに気がついた。
そいつは、間違いだったような事をいい残し、立ち去って行った。
故意なのか、手違いかわからなかった。

翌朝、早朝で辺りはまだ暗く人気はまったくなかった。
レセプションへ飲み物を買いに出かけた。

部屋へ戻り、鞄に眼をやると何となく見た目が変わったように思えた。
気になって調べると出発前に封筒へ入れておいた現金200ドルがなかった。

眼を離した数分間に忍び込まれたと思った。
こんなドジを踏んだことは今まで一度もなかったのに。
不安と気持ち悪さが残った。

ヒューストン空港に到着した後、今朝ホテルで現金を盗まれたことについて島の妻へ電話した。

勘違いに気がついたのは4、5日後だった。
後日、妻からメールを受け取るまでずっと思い込んでいた。

今から考えると、2006年頃から心の奥底へ小石を放り込まれたのだと思い返している。
徐々に波紋が広がり始めていたのかもしれない。


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by nshimaafrica | 2017-08-25 09:14 | Trinidad の頃 | Trackback | Comments(0)
2017年 07月 28日

クレジットカードがATMに「食われる」

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先日、いかにも海外旅行好きな面々との会話の中で「クレジットカード」が話題になった。

俺は、海外の街角によく見られる店舗が隣接していない「ATM」の機械を、絶対に使わないことにしている。
クレジットカードが機械に「食われる」のが怖い・・。
何のことか。誰も俺の意図を全く理解していない様子だった。

随分前の話だ。
カリブ海トリニダード島のチャグラマスの周辺に建物がなく独立した銀行支店を仕事でいつも使っていた。
ATMは支店入口の横、建物の内部ではなく外側に設置されていた。
たまたま営業時間外で、やむなくそのATMを使わざるを得ない状況だった。
過去に何度も使用したことがあったので、特段の心配はなかった。
カードをATMへ挿入して操作を始めようとすると、ディスプレイに変な表示が出てきて機械は何の反応もしなくなった。

「食われた」と直感した。

血の気が下がっていくのがはっきりとわかった。操作画面で何をしても動かない。
カードは戻ってこないままだ。
動悸が激しくなる。
操作画面に電話番号が表示されたが、手元に携帯もない。

すぐさま近くの事務所へ戻り秘書に銀行関係先へ電話をかけさせた。
当然のごとくすぐには繋がらない。
しばらくして銀行本店だったか、どこか忘れたが銀行の係の者と繋がった。
後で支店の人間が回収するから心配ない。明日取りに来てくれとの旨だった。

回収後、ピンコードを変えた。

それ以来、営業時間外で建物外側のATMは絶対に使わないようにしている。

身内も海外で、急いでいる時にしかも時間外にカードを食われたことがあった。
パニックになり国際電話をしてきた。数年前だ。

今時の機械は、昔よりも故障しにくくなっているかもしれない。わからない。
今でも信用していない。



by nshimaafrica | 2017-07-28 09:06 | Trinidad の頃 | Trackback | Comments(0)
2017年 06月 24日

2001年12月を思い出す

憂鬱になる写真も珍しい。
ぼやけた粗い写真。
不思議になるくらいカリブ海の、トリニダードの、ポートオブスペインの空気をすぐ思い出せる。
通るたびに溜息とイライラする空港までのハイウェイ、ねっとりとした空気、暴力が漂う。
一方で、多くの人達がこの島に魅了される。

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ピアルコ国際空港、チェックインカウンター
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空港から市内へ
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国際学校




by nshimaafrica | 2017-06-24 17:32 | Trinidad の頃 | Trackback | Comments(0)
2017年 06月 08日

マイアミ空港で

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やむを得ずマイアミ空港のホテルに泊まったことがあった。
空港に隣接しているためか、窓がない。
冷風が絶えず送られていた。
エアコンを切るスイッチがなかった。
風が止まった途端、カビが肺の中まで侵入してきそうだった。
亜熱帯の薄暗い壁のない部屋、絶え間ない送風、
清潔な分、明らかに第三世界とは違った。
でも異様な雰囲気だった。

何故空港ホテルに泊まりはめになったのかはっきりと思い出せない。
何らかの避けられない理由があったと思われる。

何回通過しただろうか。空港のいたるところが改装中だった。
当時のマイアミ空港のスケジュールのひどさは、アメリカの他の大空港の中でも際立っており、
搭乗券の乗り換えゲート番号は9割方あてにならない。ほぼ出鱈目だった。
大事なことは、マイアミ空港に到着、着陸寸前での機内アナウンスに聞き耳を立てること。
最新のゲート番号の情報を一応頭の中に入れておいた。
更に着陸したらすぐに乗り換えの移動前に空港のモニターを探した。
ゲート番号を再確認する必要があったからだ。
やたら広い空港だった。端から端まで移動したこともある。
いつもゲートめがけて時計を見ながらダッシュした。

マイアミは、南米へのハブ空港だからか、常に混沌としていた。
パスポートコントロールでのトラブルを頻繁に見かけたし、
一見してカリブ、中南米の様々な国籍が入り混じっていた。
あの雑然とした雰囲気にいつも緊張感を強いられた。

不快ではないが避けたい空港のひとつだった。
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by nshimaafrica | 2017-06-08 15:05 | Trinidad の頃 | Trackback | Comments(0)
2017年 06月 04日

体の調子が悪い時に旅行すると

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体の調子が悪い時に旅行すると、目に新しく入る景色でさえ輝かなくなる。

2004年の夏旅行がそうだった。
カナダのナイアガラフォール市にある病院で扁桃腺膿瘍の治療後、再度アメリカに再入国し、
飛行機でニューヨーク州バッファローからモンタナ州のビリングスへ飛んだ。
西部の空はどこまでも蒼く雲一つなく大好きなモンタナのはずだった。

ビリングスの空港に着くとタクシーでレンタカー会社へ向かった。
車で移動できるようになると、いつもはなんとなく自由が手に入る気分になるものだ。
どこへでも行ける、好きな時間を設定できる。しかし心に巣くう憂鬱な気分は変わらなかった。

降り注がれる光線は、直線的だが歪んでいた。気持ちはどんよりとしていた。
今にして思えば、体の調子がわるいのだから、
外部の刺激もマイナーに感じるのは当たり前と納得できる。
当時、少しも客観的な見方などできなかった。
中途半端な感覚は、その後ずっと続いた。夜間頻尿と倦怠感のせいだった。
まだ若かったので、一時的にせよ日ごと回復する力が残っていたから旅を続けられたのだと思う。

ビリングスからボズマン、ビュート、州を越えてアイダホフォールズ、また州越えしワイオミング州ジャクソン、グランドティトン国立公園、イエローストーン国立公園、リビングストン、コーディー、サーモポリス、ビッグホーン国立公園、90号線を北上しビリングスへ戻った。

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by nshimaafrica | 2017-06-04 11:44 | Trinidad の頃 | Trackback | Comments(0)
2017年 05月 25日

島の憂鬱

a0183811_19114280.jpg2004年、夏の旅行でニューヨークのセントラルパークを散歩していた。誰ともなくどこから来たのかと尋ねられた。カリブ海の島からと答えると、物価は安いだろうねと返された。とんでもない誤解だった。世界中どこの島へ行こうが、「島」の物価は高いのである。ほとんどの物資は、島の外から運ばれてくるからだ。輸送料分だけ余計な経費がかかってしまう。島と言わずとも辺鄙であればあるほど物価が高くなる。

東カリブ場合は、一番物価が安いのは、トリニダード・トバゴらしい。噂では北に連なる島国を上がるに従い、少しずつ高くなるとの事だった。各々の国の正確な物価の比較はわからないが、とにかく、地域全体が驚くほど高い。グアドループ、モンセラット、マルティニーク以外すべて訪問した。明らかにアンティグア・バーブーダはトリダード島よりも、またアメリカ本土とは比較にならないほど高かった。但し、どの島も地元で収穫できる農産物だけは安い。

物価が高くて憂鬱になるのは別にして、島の生活は、「島である限り」、大なり小なりある種の閉塞感から逃れられない。住めば都とはいえ、神経が少しずつ蝕まれるように憂鬱になる。このまま一生住んでもいい・・という気には少しもならなかった。

振り返れば日本も島国。だが、北から南まで十分すぎるくらいに長い。気候も徐々にではあるが変化する。小さな島国ではなく、結構大きな島国であることが救いだ。







by nshimaafrica | 2017-05-25 19:20 | Trinidad の頃 | Trackback | Comments(0)
2017年 05月 04日

ベター・コール・ソウル Better Call Saul Season 3 とシリコンバレーでの出来事

a0183811_16354643.jpgやばいことに出くわしたら、アメリカならベター・コール・ソウルの世界みたいなフィクションが成立するのかもしれない。

ヨセミテへ行った年だから、たぶん2002年だろう。サンフランシスコの隣町であるシリコンバレーのモーテルに3泊ぐらいした時のことだ。モーテルへ車で戻り駐車場にバックで入れようとしていた。

白人の老人が、突然現れた。鬼の首を取ったようにまくしたて始めた。俺の車にぶつけただろう。弁償しろとなどとたたみかけ、迫ってきた。とんでもない言いがかりだった。完全な濡れ衣だった。有色人種への偏見に満ち満ちたタイプとすぐに判別できた。そのモーテルに泊まり始めてから駐車する際、一度も隣に車があったことなどなかった。確かにその老人のバンパーがへこんでいる。見覚えのないことだった。やったのは他の誰かだった。これは面倒なことになると察した瞬間、条件反射的に、それはいつの出来事かと爺さんへ尋ねた。○○時頃のはずと答えた。その回答を逃さずすぐさま反撃に出た。「すぐにその時間に俺たちはここにはいなかった。外出していた。だから、あんたの車にぶつけること自体、無理だろうが。」と。女房もわが意を得たりの表情で、そうだ、その時間に私達はいなかったと加えた。さらに「何をバカなことをいっているのか、人違いもいい加減しろ」等とまくしたてた。災難はどこから降ってくるかわからない。その情況を映画の中の一シーンのようにはっきりと記憶している。


by nshimaafrica | 2017-05-04 12:41 | Trinidad の頃 | Trackback | Comments(0)