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2011年 05月 31日

アメリカ: ワシントン州オロンド6 さくらんぼ 1980年~1982年 Orondo, WA, U.S.A.

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2005年オレゴン州Hood Riverで購入 品種はビング
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独断と偏見で品種と産地を考えずに国産と外国産を一般的に比較するのは最初から無理を承知で比較すれば、リンゴの場合は、日本産と外国産(アメリカだろうが、ニュージランドだろうがどこでもOK)を比べたら圧倒的に日本のリンゴの方がおいしい。さくらんぼの場合は、疑いなくアメリカ産の方がおいしい。日本の佐藤錦みたいな品種をうまいと言う人は、味音痴か日本産の方が美味しいという思い込みというか刷り込みが出来上がってしまっている人達だと断言できる。そういう意味で、比較にならない程にアメリカ産の方がおいしいと俺は信じている。堅く締まった果肉の「ビング」や「ヴァン」などの当時の品種でさえ絶品だった。(隣のオービルフルーツカンパニーの品種「レーニア」は、まだその頃この果樹園で生産していなかった)

ワシントン州でさくらんぼの収穫は6月の前半から月末まで続く。早い果樹園では午前3時くらいの夜明け前から収穫が始められる。午前10時頃にはその日の収穫は終了という具合だった。気温が上がる前の実が引き締まった状態で収穫しなければならないからだった。選果がすぐに行われそのまま冷蔵で貯蔵、出荷された。

管理は他の果樹よりもずっと楽だ。6月に収穫されるので、病虫害防除にかける農薬のコストもリンゴなどよりも少ない。水管理では、さくらんぼの実に直接水がかからないように、背の低いスプリンクラーやドリップ(点滴潅水)を使って水が施される。日本のように雨水が果実の軸の回りに水が貯まって実割れが起きてしまうようなことなどなく、雨よけ用ビニールハウスを作らなくてもいい。

収穫の時期が近づいてくると、果樹園でたわわに木が折れそうなくらい実をつけているさくらんぼを手をつかわず口を開けたままトラクタに乗ったまま食うだけ食った。食い過ぎて収穫の期間中、下痢が止まらないほど食い続けた。口の回り、舌が紫色になるぐらいだった。

本当のおいしさがわかる正しいさくらんぼの食べ方:

1.氷をバケツいっぱい用意する。
2.収穫したさくらんぼないし、買ってきたさくらんぼを氷の中へ入れて氷とまぜる。
3.5分ほど適当な時間を置いたら、実の引き締まった味のしっかりしたさくらんぼの食べ頃になる。

ポイントは、冷蔵庫で冷やしただけではダメ、氷と混ぜることが大事

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by nshimaafrica | 2011-05-31 00:03 | ★たべもの | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 30日

北海道: 旭山動物園1992年~1997年 Asahikawa, Japan

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2008年3月妻撮影
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2010年8月妻撮影
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有名になる前の旭山動物園しか知らない。当時は動物園と遊園地が一緒になっていた。入園客もまばらで夏しかオープンしていなかった。アパートから動物園まで車でたった10分、家族三人で年数回は行ったものだった。それとは別に仕事でも訪問する機会があった。まだ小菅さんが副園長の頃だった。毎週金曜日の午後、あまり商売にはならなかったが、動物薬の営業で訪問したものだった。もっとも、たった9ヶ月で営業部門を離れてしまったが。

動物園の左奥の細い急坂を上がりきると動物園の事務所があった。相手にしてくれるのはいつも小菅さんだった。単刀直入で率直な人柄だった。その頃からこの動物園を変えていかなければと会う度口にしていた。未だに覚えていることがある。背広を着たサラリーマンらしき男性が、青空の下で芝生の上に寝転んでいた。どこから来たのかと尋ねてみると東京から来たとの事だった。こんなにのんびりとした時間があるのを、場所があるのを気がつかなかった、すっかり忘れていた、とつぶやいたそうである。そのような人が癒されるような場所、動物園であればいいと思ったと話ししてくれた。今もはっきりと記憶に残っている。

2006年、十年ぶりに北海道に戻ると、全国的に旭山動物園がブームになっていた。テレビに出てくる顔が小菅さんだったことに改めて驚いた。


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by nshimaafrica | 2011-05-30 00:14 | 1986年-Malawi | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 29日

トバゴ島:2002年4月 Trinidad and Tobago

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カーニバルでトリニダード島が浮かれている間、俺らはトバゴ島で静かに過ごした。

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by nshimaafrica | 2011-05-29 11:56 | Trinidad の頃 | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 29日

バルバドス:2006年4月 Barbados

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この島を思い出すと憂鬱になる。物価だけが高くどこがいいのかさっぱりわからなかった。もう少し高いホテルなら感じが違ったのかもしれないが、だとしてもビーチも、道も狭いし、さっぱり魅力が伝わらなかった。ヨーロッパからの客だけがはしゃいでいたような気がする。


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by nshimaafrica | 2011-05-29 11:08 | Trinidad の頃 | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 29日

ベトナム:ハノイ 鳥の市とワンコ焼 Vietnam

毎週土曜の午前中は、鳥の市
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ワンコ丸焼きはあまりに露骨なので写真を小さくした
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by nshimaafrica | 2011-05-29 00:00 | Vietnam の頃 | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 28日

アメリカ:ワシントン州オロンド5 メキシコ人(フェロモン) 1980年~1982年 Orondo, WA, U.S.A.

日本2007年11月撮影
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年取ったメキシコ人で気に入らない奴が二人いた。一人はメキシコ人労働者達の顔役でアメリカのパスポートを所持し、ボスから自分専用のトレーラーハウスを与えられていた。拳銃とライフルを持っているという噂もあった。フェロモンという名前で、頭の半分禿げた短足親父だった。こんなことがあった。「お前は日本人だから時計の調節に詳しいだろう。それで、これで(自分の爪楊枝で)時計を直してくれないか」と言いながら。今まさにシーシーしている爪楊枝を口から出して俺の目の前に差出した。開いた口が塞がらなかいとはこのことだった。世にいけ好かない奴とは、こういう人間のことをいうのだろうと勝手に納得していた。

農場で働いている様々なメキシコ人達は、俺の知る限り、第一印象そのものの性格を表していた。胡散臭いという感じは、ずばり胡散臭い言動と行動を見せた。犯罪を犯しかねないような奴はやはり過去に犯罪に縁があった。いわゆるこういうのを「偏見」というのだろうなと自分自身でもわかっていた。思い込みの根は浅いが、少なくとも完璧に偏見の塊と化し、普段奴らと接していた。だが次第にわかってきたのは、こいつらメキシコ国内においても、かなりの田舎者ではないかということだった。一見、情が厚く、日頃マリア様、マリア様と信心深そうだが、次の瞬間、ぬけぬけと平気で嘘をつき他人を出し抜こうとした。力関係に敏感で、従順なふりをしながら、影に回るとメチャクチャ他人の悪口を言った。それに、一に女、二に女、朝から晩まで下半身の話をしていた。いい加減に飽きてもういいと言うと、必ずニヤつきながらお決まりのセリフを口にした。「お前はホモだろう」と。別の言い方をするなら、そのやりとりは「英語に不自由する者通し」のコミュニケーションを兼ねた娯楽だった。

そんな中で日本人である俺の立場は完璧に彼らの下に置かれていた。この日本人が何故ここにいるのか?。答えは、お金がないから出稼ぎに来ているに違いない、しかも英語もスペイン語も話せない、故に、こいつはメキシコ人よりも格下であるという理屈だった。飼い犬が自分の優先順位を家族の中でどの辺に置きらがるかを考えるのと全く同じことだった。この家で主人の次にエライのは、奥さんよりも当然自分であるはず、ワンワンの理屈であった。気に入らなかったが、そんなことはどうでもいいと思うように努めた。いい奴、頭のいい奴はどこにでもいた。国籍、素性など全く関係なかった。自明だった。それにしても毎日メキシコ人に対し恨みはないが、きりなく腹がたったものだった。今から思えば、これもワンコの世界と変わりがなかったのかもしれない。

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by nshimaafrica | 2011-05-28 00:43 | 派米農業研修生(USA) | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 27日

北海道:美瑛 蝉の音 1992年~1997年 Asahikawa, Japan

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後から考えると、もう少しで北海道のあちらこちらで蝉の鳴き声が聞こえ始める頃だった。旭川へ移った最初の年1992年、6月土曜日、ヤマハのバイクYamaha DT50で旭川市内から空港横を通り十勝岳方面へ向かった。北美瑛駅から富良野へ向かう国道から外れて裏道を通って白金、十勝岳温泉へ行こうとした。雲一つ無い快晴でツーリングにはまたとない日だった。観光客の車の数など高が知れている程度で、まして北美瑛横の道を通る観光客など誰もいなかった。南へ向かう国道237号線に対して直角に十勝岳の山々への農道が3、4本走っている。時々何番目の道を走っているのかわからなくなるくらい似た景色だった。噴火で流れた溶岩の隙間の土地だから、自然に似たような景色ができたのではと思わせる地形だった。直線道路に入るとあまりに気持ちがいいので、つい目をつむって手放しで走ってみたい衝動にかられた。

月曜から金曜日まで旭川の近辺を車で営業したが、仕事は仕事でいつも憂鬱で喉に骨が刺さったままの気分だった。かといって他の仕事を探す気力もなく、道内では比較的安定した会社だったため、毎日こんなものなのだと自分に言い聞かせていた。但し、週末は違った。バイクでも車でも何でもよかったが、自分の意思で行く方向へ決められることが必要だった。その方向に見合う魅力的な土地は周りにいくらであったのだから。

北海道の蝉が6月頃から鳴き出すなどということなど思いに上がらず、なんとも心地良い音が自然に耳に入って来た時の快感を今も思い出す。白金を通って行く途中だった。バイクのエンジンを止めてヘルメットを外した。強弱がついた音、もしかして蝉かと聞き耳を立てた。森の若葉が鮮やかで、光線は直線的でまだ疲れてはいなかった。相まって周りの気温はどんどん上がろうとしていた。蝉の鳴き声は、少しずつ大きくなり合唱のように波打って繰り返していた。このまま終わりがなければ、と思った。

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by nshimaafrica | 2011-05-27 00:15 | ★溜まった妄想 | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 26日

ケニア:1985年8月 ケニアを巡る 1984年1月~1986年2月 Kenya

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1985年、ザンビア発でケニアを2週間一人で旅行した。その頃の記憶は次第に掠れていき思い出せる出来事も少なくなってきた。ナイロビからモンバサへ夜行列車で移動したのだが、ほとんど覚えていない。モンバサに着くと湿気を含む暑さという、生まれ初めて熱帯に接したことが強烈だった。それにしても断片的に記憶に残る程度だ。

機内でのビザのこと、空港まで知合いが迎えに来てくれたこと、ラウンダバウトが巨大だったこと、赤坂だかその手の名前の日本食レストランがあったこと、夜行列車でモンバサ近くの外の景色がまぶしかったこと、モンバサアーチ。伊勢海老を食べたこと、バスでマリンディ-へ行く際、バスごとフェリーで渡ったこと、そこの露天のレバーの焼き鳥がうまかったこと、ラム島で初めてアザーンを聞いたこと、海岸線が広かったこと、ダウ船に乗り半日釣りをしたこと、フィッシュカレーを食べたこと、ナイロビに戻り、ツアーに参加し、大地溝帯を通りマサイマラ国立公園へ行ったこと。そしてJALが御巣鷹の尾根に墜落したことを知った。

一生懸命思い出そうとするのだが、靄の掛かった中にいるようで今ひとつはっきりしない。ただ、楽しかったことは確かだ。いつか感傷旅行をしてみたい。

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by nshimaafrica | 2011-05-26 00:01 | 1982年6月-Zambia | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 25日

参議院行政監視委員会

世に先生と呼ばせる、お互いに呼び合うような連中が、政治や医者、学校の世界にいるが、心底気持ち悪いと感じる。自分のアホさ加減を露呈しているように思えるからだ。
参議院行政監視委員会で小出裕章氏の発表をyou tubeで見た。高潔な意思の強さを感じた。本当の意味で先生と呼びたい気がしてくる。

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by nshimaafrica | 2011-05-25 11:13 | Vietnam の頃 | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 25日

ザンビア:ムフリラ バスタブの蛇口1984年1月~1986年2月 Zambia

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バスタブの蛇口を捻ったがチョロチョロと出てきたばかりだった。台所の水はきちんと出ていたから断水ではなかった。蛇口の栓を回しきったがヒューと音がするだけだった。開けたままして少しほっといてみようと自分の部屋へ戻った。途端にバスルームから下痢便と全く同じような異様な音が聞こえてきた。何が起きたのかとバスタブの底を見ると、毛のような細かい物が散らばっていた。生臭い匂いが鼻についた。また空気の抜ける音がしたかと思うと毛状の物と赤い細かい肉片に見える物が蛇口から次々にバスタブに溜まりだした。何が起きたのか理解できなかった。また、一瞬止まったかと思った瞬間、赤い液体が勢いよく吹き出した。見る見るうちにバスタブは真っ赤になった。個体状の物がバスタブの栓の代わりをして流れにくくなり、液体と固形物が溜まりだした。まもなくして濃い赤色の液体は見る見るうちに薄くなり水に変わった。鼠か何か生き物が粉々となってアパートの水槽と水道を塞いでしまったらしい。しばらくバスタブを使う気がしなかった。

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by nshimaafrica | 2011-05-25 00:04 | 1982年6月-Zambia | Trackback | Comments(0)