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2011年 06月 30日

タイ: プーケット島3、 ピーピー島 Thai

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10人部屋に1人、島の一番大きな滝、本日ピーピー島日帰りツアー700バーツ(昼食、スノーケリング込み)


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by nshimaafrica | 2011-06-30 23:46 | Vietnam の頃 | Trackback | Comments(0)
2011年 06月 29日

タイ: プーケット島2 Thai

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洋服やドレスの仕立て屋はどこへ行っても多いが、同じように眼鏡屋が多いことを今回気がついた。


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by nshimaafrica | 2011-06-29 10:49 | Vietnam の頃 | Trackback | Comments(2)
2011年 06月 28日

タイ: プーケット島1 Thai

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ソンテウ(トラック改造バス)の中での話。たぶん国籍はイギリスかアメリカ、たぶんアラブ系イスラム教徒の家族連れ親父が、地元の40歳過ぎの男と英語で世間話をしているのを脇で聞いていた。家族連れは親父、妻、娘の3人で、妻と娘はイスラムの黒装束の格好をしていた。地元の男からどこから来たのかと聞かれたイスラム親父は、時々バングラディッシュと言ったりパキスタンだと言ったりしながら、のらりくらり適当に相手にしているのがよくわかった。さらに妻はこの通り二人と言いながら、目のまわりだけ露出している娘と妻を指してゲラゲラ笑っていた。奥さんは可笑しいのを我慢しながら、目だけ上下にクリクリさせながらこちらに目配せをしてきた。ステレオタイプのイメージは国境を隔てていないようだった。

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by nshimaafrica | 2011-06-28 20:42 | Vietnam の頃 | Trackback | Comments(0)
2011年 06月 26日

1 shuukan rusuni shimasu

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by nshimaafrica | 2011-06-26 22:26 | Vietnam の頃 | Trackback | Comments(0)
2011年 06月 26日

オーストラリア:1999年年末、2000年新年 タスマニア Australia

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2000年の初日の出をタスマニアの北、ソマーセット(Somerset)で迎えた。大晦日は、アメリカでポピュラーなモーテルチェーンのベストウエスタン(Best Western)に泊まった。町が小さく大晦日なのに人気はなく誰もいないようなモーテルだった。近くのレストランでしょぼい中華の夕食をとり、夜はテレビを見ながら年を越すことになった。娘は12時になる前に深く寝てしまい、新年を迎えた後テレビから流れるシドニーの打上花火を見せようとしてとしたが無駄だった。その後、白黒のビートルズのドキュメンタリーのような番組を見ていた記憶がある。

新年は初日の出を見ようと早起きした。最初浜辺へ行ったが方向と場所がよくないのがわかり、すぐに車で山の方向へ向かった。丘のような場所で初日の出を待った。山の向こうからなんとも眩しいくらいの光線が射してきた。タスマニアでの初日の出は、日本のお行儀がいいようなそれではなく、朝から強烈な紫外線を含んでいるような気がした。

2,3日後日本の実家である田舎へ電話してみた。ちょうど初日の出を見ていた頃、祖母へお迎えが来ていたことがわかった。

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by nshimaafrica | 2011-06-26 06:53 | 1986年-Malawi | Trackback | Comments(0)
2011年 06月 25日

アメリカ:ワシントン州オロンド8 スクールバスの労働者 1980年~1982年 Orondo, WA, U.S.A.

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りんごの収穫が近くなると、どこからともなく冗談っぽい人間が現れた。5、6人の集団で夏期剪定を進めていると、ある時から突然見たこともない白人やメキシコ人が加わっていたりした。アメリカ人の白人の場合、働いてみて思ったよりも条件がわるい、割に合わないと判断すると2、3日の間に辞めるのが普通だった。出稼ぎのメキシコ人の場合は、メキシコに米ドルを持ち帰った時のことを考えているのか多少条件がわるくとも、働ければいいと割り切っていた。すぐに辞めることはほとんどなく収穫終わりまで続けるのが一般的だった。

ある日、農場敷地の端に黄色の大きなスクールバスが止まっていることに気がついた。煙突が外側に飛び出しているバスがあるとは珍しいと思った。次の日、頭がツルツル坊主頭で年配の男性と髪の長い十代の若者、二十代前半と思われるが普通だが一見汚そうに見える別の若者の3人が夏期剪定に加わった。どうも親子3人組らしく昨日見た改造スクールバスで移動しながら仕事を探しているようだった。坊主頭の親父は海軍で日本へも行った事があるようなことや、瞑想しながら働くと何時間働いても10分ほどしか感じないなどと言っていた。二十代前半の若者は俺よりも年上で結婚していて、妻がスクールバスの中で家事をしているとの事だった。これはまさしくヒッピー崩れの親子だった。

白人のアメリカ人が果樹園で働く場合、地元の人間や高校卒業したばかりを除くと新しい労働者は必ずそれなりの雰囲気を持っていた。東部の大学を卒業後、フォルクスワーゲンのバンでインディアナ州からアラスカまで行き、帰りにワシントン州で一稼ぎしてから東部かカリフォルニア州まで行こうとするカップルもいた。当時でも70年代カウンターカルチャーの雰囲気がまだどこかしら残っていた時代だった。No Nukes も下火だったが、充分その辺の話を聞くことができた。まだまだ誰かがギターを弾き始めると必ずニール・ヤング Neil Young が出てくる時代だった。

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by nshimaafrica | 2011-06-25 19:58 | 派米農業研修生(USA) | Trackback | Comments(0)
2011年 06月 24日

オーストラリア:1999年年末 タスマニアで生卵 Australia

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オーストラリアのタスマニア島を家族3人でレンタカーを利用して廻っていた。ホバートからポートアーサーと観光地を巡り3日目ぐらいに中央の山岳地帯を通過してウエストコーストのストラハンの町の外れの宿に泊まった。オーストラリア大陸を廻っている間は、行き先々で醤油、米等を調達した。適当な材料を大概の宿に付いているキッチンで料理し、日本食への欲求から逃れてきた。

ストラハンはタスマニア島の西側に位置する小さな町だった。ちょうど週末、近くの湾で中年男性がウインドサーフィンで何時間も日が暮れるまで楽しんでいた。タスマニアはどこへ行っても穏やかな、別の言い方をすれば退屈な町が多かったが、ストラハンもその中の一つだった。人もあまり見かけなかった。

宿にたどり着くまでの近くの店で生卵を見つけた。朝ごはんにタマゴかけご飯が食べたいと思った。よく思い出せないが、結果的にタマゴかけご飯を食べたのは家族3人で俺一人だったのかもしれない。普段はタマゴかけご飯など滅多に食べないのだが、とにかく食べたくてしようがなかった。翌朝、俺自身は炊き上がったご飯に早速生卵を落し醤油をかけて食べてみた。久しぶりにおいしく満足した。

車で北へ向かった。山岳地帯から少しずつ離れかかる地域にさしかかった。突然、お腹が絞めつけられるような痛みがあり、同時に我慢できないような便意をもようした。が、急なことで周りに公衆トイレなどあるはずがない。脂汗が出てきてもう限界かと思う時、海岸線が見えてきた。海水浴場の端に公衆トイレらしき建物があった。

妻も娘も何ともなかったことからすると、彼女らは生卵を食べなかったとしか考えようがない。

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by nshimaafrica | 2011-06-24 22:42 | ★健康、病気、事故 | Trackback | Comments(0)
2011年 06月 24日

気が滅入ること

自分だけのことだけ考えても若い時と明らかに違うことは、弱気で気持ちが沈んで最低の状態であってもそのように見せない術を身につけたということかもしれない。大震災で何もかも失い、途方にくれる人々の表情をテレビで見る時、とてもその心の内で何が渦巻いているのか全くわからない。明らかに精神まで病む状態に至る本当に寸前の人達が、東北地方にゴマンといるだろう生々しい現実を思う時、自分の気分の上がり下がりなどほとんど問題にもならない問題であることは明白だ。頭では理解している。それでも自分自身の中の停滞した気持ちは相変わらず。

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by nshimaafrica | 2011-06-24 12:01 | Vietnam の頃 | Trackback | Comments(0)
2011年 06月 23日

旭川:14年ぶりの旭川 2010年8月末 Asahikawa

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東京から旭川に移ってから慣れるまでの1、2年の間は楽しかった。一旦、生活に馴染んでしまうと、新たな夢みたいな、漠然としたものが見えなくなってしまった。土日に家族と一緒に過ごす時だけが救いだった。医薬品卸会社に営業として入ったものの、9ヶ月で倉庫勤務に変わった。加えて午前、午後の定期配送の仕事を旭川を離れるまでの間ずっと続けることになった。もう限界を感じ、沖縄へでも引っ越すしかないと思っていたところへ海外の話が舞い込んできた。迷うことは全くなかった。運がよかったとしか言いようがない。

2010年の8月末、ベトナムから健康診断のために帰国している間に日帰りで14年ぶりに旭川を訪れてみた。旭川駅で自転車を借り、豊岡方面へ向かった。5年半もの間住んだアパートがどうなっているのかを見るつもりだった。札幌と異なり旭川は基本的に道が広く、いかにも北海道らしい街並みだった。空が高く日本国内ではないような土地に見えた。所々、建物が新しくなっていた。アパートの近くまで来ると、よく食べに行った梅光軒があった。裏道を進むと小川の反対側に位置するアパートが見えた。誰も住んでいないようで、もう一度周りを見渡し、やはり時間が過ぎてしまっていたことを改めて感じた。橋を渡って正面に囘り、離れて自転車を降り恐る恐る借りていた部屋の前に立ってみた。ふと十数年自分は何をしていたのだろうかと思った。急になんとなく怖くなりその場を駆け足で離れた。

近くの娘が通っていた小学校へ行ってみた。小学校の正面玄関はほとんど変わっていなかった。昔の記憶を再確認するように自転車で走りまわった。あったはずの旭友ストアーや生協、病院、保育園などの傍を通り過ぎた。あまりに天気がよくて目に映る景色は、逆に淡々と過ぎ去っていった。それほど懐かしい感情が湧いてこないのが不思議だった。毎日通った豊永橋を渡り、旭岳を見ながら永山方面へ向かった。昔通った会社建物の外側をいじった様子が全くなく外観はそのままで残っていた。土曜だったので人気はなかったが、裏の方からゆっくりと様子を伺いながら自転車を漕いでいった。急に裏口の戸が開き男が出てきた。自分の車に何か荷物を入れようとしている後ろ姿を見て、太めになっていたが○柳という奴だということがひと目でわかった。同じ職場で毎日顔を付き合わせた奴だった。○柳は配達を急いでおり、ちょうど真後ろにいた俺に気付くことがないまま車で去って行った。あいつはあのままずっとここで働いていたのかと思うと、繰り返しため息が出てきて仕方がなかった。

会社の写真を撮っていると、向かい側に外観が新しくなった馴染みのラーメン屋のかつて若かった娘が立っていた。怪訝そうな顔をしていた。たぶん見たことがあるような顔だと思ったかもしれぬ様子が手にとるようにわかった。

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by nshimaafrica | 2011-06-23 22:00 | Vietnam の頃 | Trackback | Comments(1)
2011年 06月 22日

インド、ネパール: インドで病む その1 :1987年11月末~12月 India, Nepal

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1987年11月末~12月 、3週間弱の旅行期間だったのではないだろうか、よく思い出せないが結婚してしばらくしてからの新婚旅行だった。東京、ニューデリー往復、予定は未定。ニューデリー到着後、碌々観光しないまま市内でネパール行きの航空券を購入しすぐにカトマンズへ移動した。インドを十分経験しないままネパールまで来てしまったが、それでもネパールの方が肩が凝らないと思ったのが第一印象だった。当時でもカトマンズの大気汚染は有名で観光して回るだけで喉が変になった。調子は悪いのだが日数がもったいないと思い、スワヤンブナート、ボダナートなど有名な観光地をまわり、他に昔の友人宅を訪ねたりもした。カトマンズからポカラまで小型飛行機で下方にヒマラヤ山脈を眺めながら到着、湖の近くの宿でゆっくりと過ごした。周りにバナナが育ち、同じ風景の中に遠くアンナプルナが見えた。アンモナイト売りと甘納豆売りを間違えたりもした。近くに鯉のぼりを立てた家があった。たぶん協力隊員みたいな日本人が住んでいたのだろう。

体の調子は次第に悪くなっていった。水があたったのか、油があたったのか消化器系がきちんと機能していないのを感じていた。ポカラを夜中か朝なのかとにかく暗いうちに現在のワーラーナシー(バナラシ-ベナレス)行国際バスは出発した。山道を延々と下りインド平原、国境を越える前か後か忘れたが、今まで経験した中で一番汚い安宿に泊まった。シーツに血がついていた。翌朝、バスが発車してからトイレに行きたくなった日本人の若者とそのリクエストにとりあわない無慈悲なバス運転手とのやりとり以外何も覚えていない。記憶はなく、ひとっ飛びに夜バナラシに到着した。ホテルを確保してガンジス河のガート周辺を散策し、安ホテルに戻ったころから本格的に体調が崩れていった。

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by nshimaafrica | 2011-06-22 21:31 | 1986年-Malawi | Trackback | Comments(0)