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2011年 08月 31日

トリニダード・トバゴ:KFC 2001年~2006年 Trinidad and Tobago

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ケンタッキーフライドチキンの味が、懐かしさを感じさせる食い物だなんて思いもしなかった。ケンタッキーフライドチキンいわゆるKFCは、一応世界中で決まった味のはずだが、実際はどうも違うような気がする。コカコーラでさえ、場所によって微妙に味が違うのと同じことなのかどうかよくわからない。断言できるのは、トリニダード・トバゴの人達はKFCが大好きであり、しかも大変うまく感じることだ。もちろん極めて主観的な感想だ。もしかして、日本の鶏肉だけがまずいだけなのかもしれない。

マクドナルドの場合、店自体も確か島にはなかったはずと思ったが、ハンバーガーなど誰も考えもしない。インドからの移民によって持ち込まれトリニダード風になったロティーの方が手っ取り早く、いつでもどこでも好まれる食べ物になっている。インドのオリジナルのロティーとトリニダードのロティーが違うように、地元の人がイメージするチャイニーズフードも同じようにトリニダード風のチョウメンなどの別物になっている。もちろんちゃんとした本物の中華料理店もある。近年中国から来て経営している中華料理店イーグルではそのまま本物の中華を食べることができた。ただ、トバゴ島の道路沿いの名前だけチャイニーズレストランで食べた時は、世界中で今までこんなにまずい中華料理を食べさせる店があるのと思えるくらいまずかった。

マラカスベイの揚げたサメ肉を挟んだバーガー(ベイクアンドシャーク)などは皆に好まれていたが、旨いと思うのはマラカスベイの現地でだけ、しかも決まった店での話で単に珍しくて食べる程度だった。

その点KFCは別だった。マラウイのカニャニャの時と同じように、冷静に場所とか気分に影響されないつもりで食べてみるのだが、やはりものすごくうまく感じることが不思議だった。

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by nshimaafrica | 2011-08-31 16:00 | 1986年-Malawi | Trackback | Comments(0)
2011年 08月 30日

ベトナム:バイクとスクーター ハノイ Vietnam

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左上スクーター、右上バイク、左下スクーター、右下バイク

ハノイ市内は二輪車でいっぱいで一見バイクだらけだ。実は大きくバイクとスクーターに分けられる。バイクとスクーターの違いがわからなければ、ベトナムはバイクだらけという納得の仕方になってしまうだろう。

スクーターはハンドルの左右にブレーキレバーがついており、足元が板状になっていて足を揃えて乗ることができる。その気なら乗りながら携帯電話をすることも可能である。一方、バイクは足元の左側にクラッチ、右側のフットブレーキ、左ハンドルにはクラッチレバー、右側ハンドルにはフロントブレーキのレバーが付いている。但し、ベトナムの場合は、左ハンドルにクラッチレバーがないタイプのバイクがほとんどである。スーパーカブと同じようにクラッチレバーなしで足元でクラッチを踏んでスピードを変えるタイプである。つまり高級なスーパーカブみたいなものだ。現在、バイクよりもスクーターの方が好まれる傾向が出てきている。

先日、知り合いの息子がハノイに遊びに来た時に、ここのバイクが云々と解説し始めたが、実は本人自身がバイクとスクーターの違いについて全然わかっていないことが話しを聞くうちに次第にわかってきた。この中年親父が、バイクを昔足代わりに使っていたなどと思えるはずがなくて舐めた口を叩いたのだろうと思う。

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by nshimaafrica | 2011-08-30 21:29 | Vietnam の頃 | Trackback | Comments(0)
2011年 08月 29日

北海道:美瑛で出会ったバイク乗り 1992年 Biei, Hokkaido

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旭川での楽しみの一つは、ドライブの他にヤマハの50ccバイクを乗ることだった。5月末、妻と娘が東京へ行って留守にしている間、天気のいい日を選んで大雪山系の旭岳や美瑛方面を乗り回した。一日中乗っていたが、まだ夕方までは少し時間があった。美瑛の貯水池の側にある公園のベンチで休んだ。回りに人気がなく、近くの道を通る車も少なかった。しばらくすると単気筒エンジンの音が遠くから聞こえてきた。車ではなかった。給油タンクの大きさがよく目立つXL250Rパリダカールのバイクだった。こちらに気がついたのか、あれよあれよという間に近づいて来てベンチのすぐ脇にバイクを止めた。

ゴーグルを外すと髭を生やした40代くらいの男だった。雰囲気は旅行者に間違いなく、なんの衒いもなく声をかけてきた。適当なありきたりの世間話をしていたが、バイクの話になり突然ヘルメットを交換しないかと持ちかけてきた。このパリダカールのバイクのデザインと君のトリコロールのヘルメットがよく似合うから交換してくれないかという内容だった。外国ならよくあるパターンだが、日本国内でこの手の交換を持ちかけられることなど当然ありえなかった。驚いて呆れた顔が伝わったのかもしれない。無理を承知で口からでまかせを言っていたのかもしれなかった。次から次へと話題が変わり、今の時期にバイクのツーリングは珍しいですねと水を向けると、実は土地から土地を巡りながら適当に稼いで生きていることを話し出した。本職はミュージシャンだと言って、バイクの横にくくり付けた普通のサイズより小さなギターを取り出した。かつては、誰でも聞いたことのある有名なフォーク野外音楽ステージにも出演したことがあると言いながら演奏を始め、そして歌いだした。これで素人をごまかしてきたのだと素早い指の動きを見せたが、哀しいかな、稚拙そのものだった。本人も十分わかっているらしく、こんな事をしてこんなに齢をとってしまった、普通の会社でサラリーマンをしている君がうらやましいと繰り返し言った。俺は馬鹿だったと繰り返していた。隣の芝生は青いと思う気持ちを40代まで持っていってしまった人がちょうど目の前にいた。

そうじゃないんだよ。と言ってやりたかったが、わからないだろうなとも思った。

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by nshimaafrica | 2011-08-29 23:30 | ★溜まった妄想 | Trackback | Comments(0)
2011年 08月 29日

マーズ・アタック! (1996) Mars Attacks!

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こういう映画が出来上がってしまうアメリカの底力を感じてしまう。ユーモアも底意地の悪さもあからさまで見栄がない所がいい。但し、人とワンコの繋ぎ合わせだけだけは、気持ち悪くゲロゲロだった。マラウイでのことを思い浮かべると、この映画も同時に思い出す。

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by nshimaafrica | 2011-08-29 00:49 | ★映画、テレビ | Trackback | Comments(0)
2011年 08月 28日

タイ、高知:サムイ島、須崎 2000年9月~2001年8月 Thai, Japan

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2000年9月マラウイでの3年間の契約が終了した。帰国途中1週間タイに立ち寄ってみた。初めての東南アジアだった。どこへ行くか決めていなかったので、バンコク市内の旅行代理店で相談し迷った末、3泊4日でサムイ島で過ごすことにした。移転前のドンムアン空港から小型の飛行機で飛んだ。南国の雰囲気に包まれたチャウエンビーチの端にあるホテルは心地よかった。アフリカで過ごした国と比較したら、タイの全てに細やかな神経を感じた。仕事が終了して気持ちがリラックスしていたからかもしれない。以前から大好きだったトムヤムクンを妻も俺も思い存分繰り返し食べた。娘はアフリカとの違いを感じていたのかもしれないが、知らない場所へ行くことが、不安よりもわけのわからない期待に変わっていった頃かもしれない。振り返れば、アフリカ行きに始まって以来、娘にかけた精神的な負荷の大きさは想像以上だったと思う。結果的には、こちらの想像以上に娘自身がタフだったにちがいない。

果たして、タイの旅が終わったら何が始まるか、どう展開するか全く想像がつかなかった。やらなければならないことは山ほどあるのはわかったが、中身はまだぼんやりとしていた。思い出すともう帰国してから高知県で過ごしトリニダートへ向かうまでの間、辛くはなかったが正直あまり思い出したくないことの連続だった。タイでの休暇が、ぼんやりとしていたのに、帰国して高知県へ移動し過ごした日々は、つまらないことも含めてはっきり思い出してしまうだけに逆に非常に不愉快である。旭川での人間関係はスムースではなかったが、憎しみを抱いたことはあまりなかった。高知の須崎市では職場を含め、田舎のいやらしさが存分に滲み出ていた人と人との関係だった。坂の上の借家とワンコを飼った生活にまつわる記憶だけを大事にしておきたい。

そういえば、サムイ島の泊まった部屋の前には、顔が小さく白い靴下をはいたような白黒猫がいつもいた。

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by nshimaafrica | 2011-08-28 14:45 | 1986年-Malawi | Trackback | Comments(0)
2011年 08月 27日

ベトナム:アパートの遠足 ニンビン Ninh Binh Vietnam

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アパートの企画した日帰りの遠足で、ハノイから南へ2時間半離れた景勝地、”陸のハロン湾”と称されるニンビンのタムコックへ行ってきた。船で座ったまま天井に頭が届く狭く低い洞窟を数回くぐり抜けた。

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by nshimaafrica | 2011-08-27 22:06 | Vietnam の頃 | Trackback | Comments(0)
2011年 08月 26日

あるとない、ピンとキリ、原発

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物がふんだんにある国では「ピンとキリ」つまり質を問われるが、開発途上国など物が豊かでない国では、「あるとない」つまり単に量だけではなく生きるか死ぬかの問題になる。日本では、中途半端ならやらないほうがマシとか、時々耳にするが、あくまでも大局的なことではなく、細部についてのことを指していることが多い。大局に対しては曖昧に処理し「長いものに巻かれる」のが常。細部、いわゆる重箱の隅を突付くようなことだけに対して「ピンとキリ」なのだ。だから、時に本質からかけ離れたどうでもいいことに異常に神経を注ぐことが起きる。誰もその状況を変だとは思わない。また、間違いなく「技術」を信仰しているといえる。電車が秒単位で動き、指で触って何ミクロンの調節をしてしまう。技術の「細部」のみに象徴され、それが「日本文化」となっている。

過去に海外援助における基本的な柱の一つは常に「技術」だった。技術こそが真理と信じている証拠なのだろう。また技術に対し宗教的でさえあっても、大局、大きな枠組の捉え方に関しては、曖昧なのだ。その意味で決して世界に誇れる歴史などではなかった。マネージメントが貧弱でも、それで済んできたのだ、先の戦争前までは。海に囲まれてきたという地理、地勢的な理由が大きかったのではと妄想する。技術は論理に支えられるが、事を動かすのは論理ではなく誰かの意図なのだ。その象徴が原発の導入から事故後の後処理まで全ての動きに当てはまると思える。

天災で原発事故が起こる確率が天文学的に低いと今まで原子力村の連中が言い切っていたのか不思議に思っていたが、元々は1975年の「ラスムッセン報告」が基礎になっており、それを日本での推進の理由として、慎重な検証なしに単にその屁理屈を繰り返していたことが明らかになっている。なるほど、広瀬隆の本が「とんでも本」に分類されてきたことが、どれだけねじ曲げられてきたかをよく物語っている。

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by nshimaafrica | 2011-08-26 12:09 | ★溜まった妄想 | Trackback | Comments(0)
2011年 08月 25日

アメリカ:ワシントン州オロンド12 何故か幸せに感じて 1980年~1982年 Orondo, WA, U.S.A.

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土曜日、午前中の仕事が終わって長い一週間が終わった。いつも週末はウェナチーの研修生宅で過ごすはずだった。だが、何故かその週末はいつもと違った。原因はわからなかったが、「幸せ」に感じ始めたのだ。気持ちのいい条件は整っていた。その日もいつもの通り天気は良く、果樹園で仕事が終わった後、週末だけの幸福感に包まれていた。その場限りの幸福感は、知らぬうちに消えてなくなるのが常だった。隣の果樹園で働く研修生の車が迎えに来てくれてウェナチーへ行こうと誘われたが、持続するワクワクした気持ちを失いたくなかったので、「今日はやめておく」と断ってしまった。何を血迷っているのか、頭がおかしくなったのかとからかわれたが、俺の気持ちは全く変わらなかった。その気持は翌日の日曜日まで続いた。脳細胞の配置が変わるくらい心地良くなるようなことが、何年かに一度、その時まで数回あったが、現在の年齢である五十代に達してしまうと、稀にでも起きなくなってしまった。

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by nshimaafrica | 2011-08-25 23:41 | 派米農業研修生(USA) | Trackback | Comments(0)
2011年 08月 24日

札幌:50歳で世界一周へ出た経緯(いきさつ) 2006年~ Sapporo

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トリニダードから帰国後の定住場所は、娘の高校卒業までの授業料を基準に決めた。東京は授業料が高すぎること、都会にまた住みたくなかったこともあり、東京以外の仙台か札幌に動くことに決めていた。旭川の業者に家財道具を保管してもらっていたこともあり、これも札幌に住む大きな理由になった。学校と地下鉄の駅へと両方に近い賃貸のアパートを借りた。荷物をアパートに入れ一応落ち着いたはずだった。次の仕事のあてはなく、これはどうにかいけるのではと思う仕事をすぐに申し込んだがあっさり拒否された。そのまま海外向けの仕事を探し、ある大学農場でアルバイトや東北の実家で肉体労働をしながら仕事を探したが、数回続けて落ちた。神戸の会社に登録を続けるのが難しくなり、2007年9月に10年間在籍していた会社を辞めることになった。まだ、リーマン・ショック前だったので、どんな仕事でもいいというなら、たぶん就職できたのかもしれない。その前に本命の仕事を断られるたびにかき乱され、毎日少しずつ精神状態が悪い方向へ傾いていった。記憶力が下がり物忘れがひどくなった。体を動かすことが一番と思い、ママチャリで豊平川の河川敷を毎日走りまくったが精神状態は少しも変わりなかった。妻から病院へ行くことを勧められ、札幌市立病院で欝の薬を処方された。一定の効果はあった。普段、飲み続けることことで奈落の底に落ちないでいられた。ただ精神状態は良くも悪くもならず、前頭葉が鉛になったような感じは相変わらずなくならなかった。世界旅行のチャンスは今しかないと思い、気が重いままに12月発でスターアライアンスの世界一周航空券を買った。中年バックパッカーとなり、7ヶ月間の世界一周の旅に出た。旅の途中のハンガリー、ブダペストで薬を盗まれるまでずっと飲み続けた。

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by nshimaafrica | 2011-08-24 21:16 | ★溜まった妄想 | Trackback | Comments(0)
2011年 08月 23日

マラウイ:area3の借家 リロングウェ1997年8月~2000年9月 Malawi

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借家は四方を高い塀で囲まれていた。門に車で近づきクラクションを鳴らすと、鉄製の扉を警備員が開けてくれた。当時セキュリコという警備会社との契約で昼と夜に警備員を派遣する契約だった。警備会社セキュリコは、訓練もないままに申込者をそのまま雇用し、しかも、泥棒が警備会社に勤めて情報を集めて泥棒に流し、泥棒を手引きするとの噂が絶えなかった。後日、契約を破棄することになったが、当時は状況がわからず前任者のやり方を踏襲していた。最終的に、後日前任者が雇っていた人物は全員をクビにすることになった。その状況に至った最初の原因を作ったのは、同じ敷地内の別の家屋に住み、家の中の掃除、家政を担当していたデビットという老境に近づいたマラウイ人男性だった。Mars Attacks の映画に出てきた火星人とそっくりだった。

てきぱきと仕事をこなしてくれるということで、やはり前任者から引続き雇用を継続した。話をしてみると、植民地時代から長く白人家庭で家政夫として働いていたことが彼の大きな誇りだった。一旦話しだすと止まらない性格で、一刻も黙っていることがなかった。更によく話を聞いてみると、骨の髄から植民地化されおり、植民する側からすると極めて理想的な発想の持ち主だった。次第に開いた口が塞がらないようなことを次から次へと口にし始め、正体が徐々に顕になってきた。白人(この場合アングロサクソン系)が疑いなく一番偉く、黒人は無知で馬鹿と信じ切っていた。この場合、自分を除くことが大前提だった。同じ黒人でもマラウイ人は上等で、ザンビア人は下等で残忍とか、どこをどうすればこんな人間が出来上がるのか不思議に思えるほど稀な人間だった。根本的な精神構造が幼稚なデビットは、自分の勝手が効く人間に対しては横柄で傲慢な態度を露骨に見せつけた。昔、働いていた白人の奥様が尊敬の対象だったようで考え方の全ての基準になっていた。

笑うに笑えなかったのは、娘の友達で近くに住むアメリカ人夫妻の奥さんが自分の娘を車で迎えに来た時のことだった。奥さんはジャマイカ生まれの黒人だった。まず持って黒人などと最初に一括りなどできないのだが、西アフリカの祖先と白人の混血が進んでいるジャマイカ黒人とマラウイの黒人を比べた場合、DNAレベルのみならず歴史から、とにかく全てにおいて基本的にお互い全くの外人どおしのはずだった。デビットの頭の中では、同じ黒人どおしという荒っぽい分類をしていたのかもしれない。彼の脳味噌の構造からすると外人であれ何であれ、黒人は劣等であるらしく、従ってジャマイカ人の奥さんの場合、自分が住んでいる敷地を歩くのもけしからんという理屈だった。自らをも否定する考え方なのだと少しも気づいていない、完璧に植民地化された性格が哀れだった。

ただ、哀れで済むのであればまだどうにかなったが、徐々に実害が出るにつれ最終的に辞めてもらう選択しか残っていなかった。

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by nshimaafrica | 2011-08-23 19:55 | 1986年-Malawi | Trackback | Comments(0)