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2011年 09月 30日

オーストラリア:1999年年末、ケアンズ空港の客引き Australia

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ケアンズの空港は思ったよりも小さかった。確か、日本からハワイへ行くのと同じ時間でケアンズに着いてしまうとの「売り」だったはずなのに。頭の中では華々しい観光地かと思いきや現実は日本の地方空港並みに見えた。

朝早くダーウィンを発ち、日中の早い時間に着いた記憶がある。はっきりと思い出すのは、空港に着いてから、いつものようにホテル案内掲示パネルを見ながら、妻と娘とで今晩、どこへ泊まろうかと思案していた時のことだ。いつの間にか人の気配が後ろの方に迫っていた。横目で見ると、聞こえるか聞こえないような声で何か独り言をつぶやく中年女性が立っていた。こちらに目線を向けてはいないが、どうも話しかけてきているいる様子だった。耳を傾けると、いいホテルがある、料金はxx豪ドルとはっきりと言った。

ははあ、これは空港での客引きが法律で禁止されているなと思った。話の内容を聞くと掲示されている料金よりも安いようだ。しかも車で送ってくれると言う。中年女性は、1960年代風のワンピースととんがりのサングラスをしていた。玄人には見えなかった。とても人をだますようにも見えなかった。気に入らないならそれはそれでいいとも言った。妻と相談して見るだけ見てみようと決めた。車に乗り込む時もまだ人目を気にしていた。

オーストリアからの移民の夫婦が経営する宿だった。たぶん、二三日ごと空港へ客引きに出ていたのではないだろうか。「マンゴハウス」みたいな名前だったような気がする。

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by nshimaafrica | 2011-09-30 21:22 | 1986年-Malawi | Trackback | Comments(0)
2011年 09月 30日

マラウイ:デッツァ 1997年8月~2000年9月 Malawi

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首都リロングウェから車で2時間ほど幹線を南へ下った所にデッツァという小さな町がある。陶器をつくる窯があり、お土産や注文の陶器を販売していた。聞いた話によると昔、ヨーロッパのどこかの国のボランティアが地域の特産物を作ろうと企画して始まったのが窯元だったらしい。陶器販売の他に喫茶も兼ねておりケーキとコーヒー、紅茶を楽しむことができた。変化の少ないリロングウェの生活にちょっとした息抜きとアクセントをつける時には、たまにはデッツァへでも行ってみようかということになった。悪路を飛ばしてやっとのことで着くと、裏庭にはテーブルが数脚あり、何もない田んぼか草むらのような景色を前に、軽食とともに飽きるまでそこにいた。いかにも手作りといったコーヒーカップやマグなどは、マラウイに住んだ記念のお土産としてわるくなかった。

夢の中に出てくるがどこの景色かわからない時、たぶんそれはデッツァの景色だ。あの場所へ行ったことのある人なら、きっと理解してくれるに違いない。

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by nshimaafrica | 2011-09-30 00:11 | 1986年-Malawi | Trackback | Comments(0)
2011年 09月 29日

オーストラリア:1999年年末、カカドゥ国立公園 Australia

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カカドゥ国立公園は、ノーザンテリトリーの州都ダーウィンの近くにある。ダーウィンでレンタカーのカローラを借り、カカドゥ国立公園を目指した。乾季だから行けるような場所らしく雨季になれば辺り一帯が水浸しとなり道路も寸断されがちらしかった。そもそもオーストラリアに熱帯地域が存在することもよくわかっていなかった。アリス・スプリングスからダーウィンに到着し市内まで移動してパンフレットで適当に見つけたホテルに泊まって初めて、どうしてこんなに暑いのだと思ったくらいだった。暑くて冷房を動かすと音だけがものすごく、あまり室温は下がらなかった。また性能がわるいエアコンで話ができないどほどうるさかった。それでもすぐには気が付かず、もしかしてここは熱帯かもとあとから気づいたくらいだった。もう一つ気になったことは、蠅は砂漠中どこへ行っても逃げられないことにあきらめとともに納得したが、ダーウィンの海岸縁では蚊がどこにでもまとわりついてきて鬱陶しかった。

カカドゥへ向かい始めるとドライブが快適で変わりない単調な景色も苦にならなかった。娘と妻は見逃したが、車の目の前をエリマキトカゲが二本足で襟を立てながら道を横切るのを目撃した。ブッシュファイアも見た。淡々と高低差がなく、只々ジャングルというかブッシュの中を横切って行くだけだった。こんなものかと思っていたのが、180度見方を変えたのは、カカドゥ国立公園上空のセスナによる1時間の遊覧飛行だった。真下に広がる国立公園の景色はまさに絶景だった。河や湿地帯には、信じられないほどの鳥がセスナと同じように飛び交い、水と緑が輝いていた。イエローウォーターのクルーズもいかにもオーストラリアらしかった。ワニとコウモリと浸水した森、アボリジニの岩壁画は、この土地以外に経験できないような独特な雰囲気があった。赤土と北半球にない植生は目に馴染んでいない分だけ違和感あり、それがかえって別の大陸であることを強く認識させてくれた。

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by nshimaafrica | 2011-09-29 15:23 | 1986年-Malawi | Trackback | Comments(0)
2011年 09月 28日

ベトナムでドリトス

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オーストラリア旅行でいいことは、大抵のホテルにはキッチンが付いており簡単な料理ができきることだった。ジャポニカ米と醤油はどこの田舎の小さなスーパーマーケットでも売っていた。

長い旅行をするのに食べたいものが食べられないと旅する事自体が苦痛になってくる。若い時は、どこでも抵抗なく何でも食べられたものだったが、ある程度年をとってからは、夕方など移動に疲れて食事をしようという時に、バターっぽい料理とかパンは我慢できなくなることが多くなった。アメリカでの旅行では、困った時の中華料理だった。どんな田舎でも中華料理店らしき店は必ずあった。せっかく見つけた店では、スープが先ではなく、おかずとメインとスープを同時に持ってくるようにいつも頼んだ。アメリカ生まれでない中国人のレストランでは、こちらのリクエストをすんなりと受け入れてくれた。最悪だったのは、ユタ州の田舎で食べた中華料理だった。明らかに料理人はアメリカ生まれの二世か三世の中国系だったに違いない。何を食べても砂糖がたっぷりと入った味になっていた。こんな甘い味付けを食べたことがないと言うと、何が不満なのかわからないみたいな受け答えだった。

50mおきに食べ物屋がある東南アジアと違って、食べられる場所を見つけるのが大変だったのは、中東だった。エジプトでも、ヨルダン、シリアでも食堂はどこかといつもきょろきょろしていたような気がする。

香港では持ち帰りの寿司折と吉野家の牛丼で十分満足した。

ここベトナムでの夕食は100%自炊で、米か麺の味だが、一週間に一度メキシコっぽい味が食べたくなり、近くの高層アパートの一階にある食料品店へ行きチリコンカルネの缶詰とドリトスチップスを買ってきて、自分の部屋でゆっくりオリーブの漬物と一緒に食べるのが唯一の贅沢になっている。

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by nshimaafrica | 2011-09-28 21:57 | ★たべもの | Trackback | Comments(0)
2011年 09月 27日

インド、ネパール: インドで病む その2 :1987年11月末~12月 India, Nepal

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ワーラーナシー(当時はバナラシ、ベナレス等と呼ばれていた)に到着し、当然のことながらガンジス河のほとりのガート(沐浴場)へ行ってみた。何を見ても物珍しく興味深かった。夕方、ホテルに戻るとここ数日間の調子の悪さがまた戻ってきた。吐き気が出るほど気持ち悪くなり、胃の中に入っていた全てを吐いてしまった。吐くものがなくなっても、しばらく吐き気は止まらかった。水を飲んでもすぐに吐いた。何となく少し落ちついてきたかと思ったら、今度は腹痛が始まり、水のような下痢が始まった。何度もトイレを出たり入ったりして、ほぼ出るものがなくなって便意は収まった来た。次第に動悸と共鳴して目の奥が頭の芯にズキンズキンと響き始めてきた。頭が割れるように痛くなり波を打って繰り返した。妻は、このままでは大変なことになりかねないと、見知らぬ夜の町を頼りになれるかもしれない在住の日本人女性を訪ねてみた。返事は神のみぞ知る、であった。状況は何も変わらなかった。いつまでも痛みに終わりはなく、七転八倒とはこのことだった。ホテル中に響くような大声を何回も出した。

夜中、親切にもホテルの主人が部屋に来て、知り合いのクリニックへ自家用車で連れて行ってくれた。このままでは、まずいことになると判断したようだった。また、そのまま市立の病院??へ連れていかれた。診断の内容は分からなかったが、黄色の注射液を見せながら、これで良くなると言った。もし間違った診断ならもう終わりかもと思ったが、もう抵抗する余裕もなかった。

注射され意識が遠のいていくのがわかった。眼が覚めたのは12時間以上後だった。だだっ広い病室に数多く並んだ一つのベッドの上だった。ヒンズー教の神の絵が壁に貼ってあり、辺りは御香の匂いが立ち込めていた。頭痛は収まっていた。

鏡を見ると、目はくぼみ、くまが出来、完全に衰弱し切っていた。鉄道でデリーへ戻るのは無理だった。無理したら死ぬとも思った。急遽飛行機でデリーへ戻ったがその辺の記憶がなく、全く何も思い出すことができないが、一生忘れられない旅となった。

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by nshimaafrica | 2011-09-27 23:38 | ★健康、病気、事故 | Trackback | Comments(0)
2011年 09月 26日

ベネズエラ:大陸への出張 2005年4月 Venezuela, TT

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トリニダード・トバゴからベネズエラの首都カラカスへ日帰り出張した。海岸へ近いシモンボリバル国際空港(マイケティア国際空港)からカラカスまで送迎の車に乗って移動した。タクシーを使うのも物騒な地域らしく、最近、これまで何回も空港からタクシーを利用しているビジネスマンが幹線からはずれた場所に降ろされ身包みはがされたとの話も聞いた。移動するに従って、山へ向かいどんどん高度を上がっているのが体感できた。アンデス山脈の北端が見えた。トリニダード島に住んでいながら、ほんの目と鼻の先の南米大陸を訪れたことがなかったが、3年も過ぎて初めてまさか出張で来るとは思ってもみなかった。予定通り仕事は済んで、夕方ごろ空港に戻りチェックインをした。空港税のことで行き違いが多少あったくらいで搭乗券をもらい、記されているとおりのゲート番号の場所で搭乗時間を待っていた。搭乗に関するインフォメーションはなく、空港内は薄暗く、いかにも第三世界にありそうな雰囲気だった。同時にアナウンスがほとんどない空港だなと気がつきつつ少しずつ搭乗時間が近づいていた。回りに乗客はいるがスペイン語を話せるわけもなくただ待つしか他に方法がなかった。

なんとなく虫の知らせというのか、搭乗口の端も端の方向でどうも人の動きを感じた。まさか、まさかと思いつつ急いで走ってそこへ行き、誰彼かまわず行き先であるトリニダートであるかどうかを尋ねてみた。どうも間違いないようで、実は搭乗口が変わったことを知らない乗客が他にもいたようだった。しかもやはりどこを見ても搭乗先の表示は出ていなかった。

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by nshimaafrica | 2011-09-26 18:41 | Trinidad の頃 | Trackback | Comments(0)
2011年 09月 25日

香港8: ベトナムへ戻る Hong Kong

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「中間」が完成形に近いと仮定するなら、車の場合、大きく荒いが頑丈な概念からコンパクトで精密な方向、つまり「中間」へ収まってきたのがアメリカで、日本の場合は、華奢な小型車から節約の延長線上を次第にサイズを大きくして「中間」の位置まで達したという違いがあるのではないか。同じ「中間」であっても、実は中身のアプローチは根本から違うような気がする。
都市も同様に、都市計画ありきの大枠があり細部を埋めていく都市と在来の村の集合体を少しずつ場当たり的に発達させてきた東京とでは、アプローチが全く異なるのではなどど、香港の町を見ている間ずっと考えていた。

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by nshimaafrica | 2011-09-25 22:36 | Vietnam の頃 | Trackback | Comments(0)
2011年 09月 24日

香港7: 赤柱 Hong Kong

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一昨日地下鉄の中で少し咳きをした。たぶん、空気がわるいせいだったと思われる。手で口を押さえたのだが、隣に立っていた若い女性は、2回目に少し咳が出そうになった時、そそくさとその場を立ち去った。それは、それでおしまいの話だっただが、昨日、広場のベンチで腰かけて休んでいた時の事だった。女学生のアルバイトが仲間とちょうど休憩をとっていた様子だった。地下鉄と同じ様にちょっと咳をしたら、やはり隣に立っていた女学生がその場からすぐに立って俺から離れていった。別に小汚い格好でも口臭がひどいわけでもない。もしかして、この香港のような狭い空間の中で咳などの原因による感染症に対し、異常に敏感になっているのではとしか思えない反応だった。

映画Contagionの影響が考えられる。

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by nshimaafrica | 2011-09-24 18:41 | Vietnam の頃 | Trackback | Comments(0)
2011年 09月 24日

香港6: 旺角 九龍公園 スターフェリー 中環 九龍公園埠頭 Hong Kong

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ネイサン通りを南へ下り、フェリーで中環へ行き、またフェリーで九龍側へ戻って再度、シンフォニー・オブ・ライツを見た。



by nshimaafrica | 2011-09-24 00:11 | Vietnam の頃 | Trackback | Comments(0)
2011年 09月 22日

香港5: 歴史博物館、埠頭、重慶大厦 Hong Kong

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今、港島線の砲台山近くのホステルにいるが、部屋の掃除は出稼ぎのフィリピン人女性達が行っている。やはり外国人労働者はいるところにはいるのだとは思ったが、今日行ってみた重慶大厦の複合ビルは、桁違いで完全にコスモポリタン状態だった。否、第三世界の状態だった。イスラム系、アフリカの黒人系、たぶん国籍様々な人達があちらこちらで商売をしていた。食堂には、ハラルの肉を使用した料理であることが表示されていた。
 香港で携帯電話等を仕入れ、箱詰め’にして彼らの国へ送るためであろう。携帯の箱が次々とビニールで覆われガムテープで梱包され廊下に山済みされていた。いかがわしさとタフさが彼らの存在とともに漲っていた。上の階は安宿が数多くあるように見受けられるが、何の免疫もない旅行者がエレベータに乗ろうとすると確実に面食らうことだろう。

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by nshimaafrica | 2011-09-22 20:02 | Vietnam の頃 | Trackback | Comments(0)