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2012年 08月 31日

初めてのシドニー2 : オーストラリア 1998年4月 Australia

初めてのオーストラリアは、開放感に浸った印象が強い旅となりました。パースから入りオーストラリアの雰囲気を味わった後に大陸を東へひとっとび、シドニー、ゴールドコースト、またシドニーの順に回りました。歴史が浅い分、どろどろとした重さを感じることなく、肩が凝ることがありませんでした。その中でも比較的古さが感じられたのがシドニー、宿は適当にキングズクロス。あのフワフワ感は南アフリカ、ヨハネスブルグ行に乗るまでずっと続きました。

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by nshimaafrica | 2012-08-31 12:09 | 1986年-Malawi | Trackback | Comments(0)
2012年 08月 30日

アイダホの森林地帯へ飛ぶ :アイダホ州 1980年~1982年 U.S.

1980年10月最後の休日、アイダホを離れる前、農場主が自分が所有するセスナで日本人研修生3人をアイダホ州北部の針葉樹林地帯まで連れて行ってくれた。どのくらい飛んだのか全く思い出せないが、到着したのは、奥深い山の中だった。山と山の際に滑走路があり危なげなく降りることができた。滑走路の端には針葉樹に囲まれた小屋があった。中を覗くと胡散臭そうな男がいたことを覚えている。薄暗く西部劇に出てくるような雰囲気だった。

記憶はそこまでだが、その農場主は、十代で土地を買いジャガイモをつくり、州都ボイジの隣町ナンパから次々と農場を拡張し続けて成功したアイダホ州でも有名な農家のひとつだった。いわゆる勝ち組の一人だった。強気と傲慢が同居しながらエネルギーに満ち溢れた性格だったからかもしれない。当時、彼の農場のひとつがナンパから数時間離れたグランドビューにもあった。8月、9月の2ヶ月もの間、俺ともう一人の研修生がその農場のフォアマンから奴隷のようにこきつかわれていたことになる。

後日、何年も経ってから派米農業研修生のO回生(15回生)同期会が東京で開催されたことがあった。その時、かの農場で長期研修生として働いていた研修生から、あの農場主はすでに死んでしまった、もうこの世にはいないとの事を伝え聞いた。

セスナの墜落事故だったらしい。

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アイダホの森林地帯
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by nshimaafrica | 2012-08-30 16:54 | 派米農業研修生(USA) | Trackback | Comments(0)
2012年 08月 29日

コーラやコーヒーを持参する意味

成田で到着後ペットボトルの水を買い、持って歩くのは外国からの貧乏旅行者だけだ。コンビニや自動販売機がどこにでもある国は別にして、大概の国では、水は買える時に買い、後は持ち歩くのが常識だろう。

またアメリカ映画の中では、外で買い上蓋をしたコーヒーを持ちながら歩きすぎるシーンがよくあるが、大概の日本人には馴染みがないはずだ。手持ちしながら歩いている日本人を滅多に見ることがない。

昔、ワシントン州で救急治療の講座を受けたことがあった。通訳のためにビッグベンドコミュニティーカレッジに通う日本人留学生が缶入コカコーラ(ペプシだったかも?)を手に持ちながら現れた。すぐに缶を開けて飲むのかと思ったが、なかなか開けることすらしない。缶コーラは講座の途中にのどを潤すためだったにちがいないが、コーラはテーブルの上にずっとそのまま置きっぱなしだった。やがて講座が進み、ようやく30分過ぎた頃、通訳を続けながらやっとプスッっとした音とともにおもむろに缶を開けた。ゆっくりともったいつけながら一口飲んだ。なかなか二口目を口につけようとしない。5分ぐらいして二口目。いかにもおいしそうに見えたのだった。彼ののど元を見ていると飲みたくてしようがなくなった。それまでそのような飲み方をしたことがなかったことに気がついた。その留学生が一瞬アメリカ人のように見えた。
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by nshimaafrica | 2012-08-29 10:30 | ★たべもの | Trackback | Comments(0)
2012年 08月 28日

チャーリーとの旅(旧訳)を思い出す

スタインベックの「チャーリーとの旅」を読んだのは高校2年の時だった。記憶の底に眠り続けていたイメージを実際に自分で復活できたのは、それから28年過ぎた後のことだった。

アメリカで初めて自分で実際にレンタカーを借り、旅を始めた時、かつて頭に思い描いたことを今、実践しているのではなどと思った。その時すぐには思い出せなかったが、まさしくあの本の中で受けた印象に極めて近かったような気がする。

2002年の夏に、ワシントン州からモンタナ、ワイオミング、アイダホ、オレゴンと回った。その後、同じように何回もいろいろな州を巡ったが、最初の旅ほど印象深いものはない。初めは大いに興奮しまくったが、3、4度目あたりからこんなものかと思い始めた。快適なフリーウェイは退屈になり、どこまでも続く青空も最初に感じた青と同じものではなくなっていた。

犬のチャーリーが見上げられなかった森、レッドウッドへも行こうと思ったが、結局行かずじまいになった。

後ろは記録するために振り返るけど、歩む時は前だけ見ていきたいものだ。

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by nshimaafrica | 2012-08-28 09:29 | ★音楽、本、DVD | Trackback | Comments(0)
2012年 08月 27日

思い出せない記憶

ふと頭に浮かぶイメージがどこの場所だったのか思い出せなくなることがある。頭が混乱している状態が快感に感じるのは、まだ本当にいかれていない証拠だろう。最近は、アメリカインディアン(アメリカ先住民と言うべきか)の踊りを見た夕方の風景と音楽を思い出したのだが、果たしてどこの町だったのかわからない。小さな町で、たまたまある儀式が行われ一般の人達も見ることができたのではなかったかと思う。順序立てて考えてみると、どうもメサベルデ国立公園の前後だったようだ。

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by nshimaafrica | 2012-08-27 09:27 | Trinidad の頃 | Trackback | Comments(0)
2012年 08月 26日

ニューヨークのチップ

2001年8月、出張でニューヨークを通過するまで、それ以前に意識してチップを払ったことなど一度もなかったような気がする。チップを意識したことがなかったと言うべきかもしれない。そのような場自体に縁がなかったのだ。だからTHE KITANO NEW YORK に泊まった時、宿泊料金込みの朝食をとってさえもチップを出すべきか迷ってしまったのだ。要はいいホテルに泊まったことがなかったということかもしれない。まがい物ではないきちんとした日本食、しかも、非常におしいかったので訳判らず4ドルを置いた覚えがある。テーブルでのチップを別にして、一旦気になると観光バスガイドやドアボーイなどへ手渡す方法にも、ちょっとテクニックがあることに気がついてきた。但し、ニューヨークを離れれれば、大して気をつかうものでもない。チップで自分の生計をたてなかればならない人達が働く州の場合が特別なのだということが後からわかってきた。

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by nshimaafrica | 2012-08-26 13:02 | Trinidad の頃 | Trackback | Comments(0)
2012年 08月 25日

★ライアンエアーを利用する時の注意

ライアンエアーに乗る時は、事前にオンラインチェックインを行っていたとしても、EUパスポートホルダー以外は、空港のチェックインカウンターで「ビザチェック」なるスタンプを受けなければならないそうです。それを知らないで搭乗ゲートまで行ってしまい、「ビザチェック」スタンプがないから搭乗できなかった例がよくあるらしいです。
★ヨーロッパへ行く方は十分注意されたらよろしいかと思います。

http://davidjduran.com/2009/07/29/ryanairs-outrageous-visa-check-policy/
http://www.ihateryanair.org/ryanair-visa-check-scam/
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by nshimaafrica | 2012-08-25 10:52 | 2012年1月以降 | Trackback | Comments(0)
2012年 08月 24日

アンマンからダマスカスへの移動 世界一周 2007年12月~2008年6月 中東 Jordan

世界一周をした2007年の頃、まだ中東が現在のような状況になるとは少しも想像できなかった。エジプトとシリアのムバラクやアサドのような独裁者は、長いこと強権で民衆を押さえつけていたのだろう。一応表面上は安定しているかのように収まっていた。目の前を単に通り過ぎて行く旅行者でしかもアラビア語もちんぷんかんぷんだとすれば、具体的に物や人があっても本質に近い正確な情報から程遠い理解だったのだろうと思う。今から考えると、人々の不満は、ほとんど限界まで来ていたのだろう。でも能天気の外国人旅行者にとっては、あまりに自分の世界と違う表面の常識の違いのみで十分刺激だったのかもしれない。

ヨルダンの首都アンマンから隣国シリアの首都ダマスカスまで公共のバスはなどなく、乗り合いタクシーで移動した。地球の歩き方に書いてあるとおり、午前9時ごろアンマンの北の端の通りまで行くとシリアまでを専業とするタクシーが数台停まっていた。ダマスカスへ行きたい者を勧誘し、即席の3,4人のチームを作っていた。少しでも安くあげたい客どおしが料金を分担するという仕組みだった。十数分の間に、ヨルダン人の男と中年おばさんが次々と現れて即座に出発した。運転手はサッカーのジーコにそっくりの男で始終、腕時計を見て時間を気にしていた。車が動き出すと簡単な自己紹介をし、これからの予定を簡単に説明し始めたが、他のふたりは雰囲気から何回も国境を通過してようで全て了解している様子だった。よくわかっていなかったのは俺だけだったことがその後、国境通過で思い知らされた。ヨルダン郊外へ出ると平らな一面の沙漠が先々まで広がっていた。


アンマン、マンスールホテルの近く

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by nshimaafrica | 2012-08-24 15:06 | 2006年9月-2009年 | Trackback | Comments(0)
2012年 08月 23日

藤棚の下

突然鮮やかに見えたのですが。

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by nshimaafrica | 2012-08-23 17:32 | 2012年1月以降 | Trackback | Comments(0)
2012年 08月 22日

ワシントン州のどこか :1980年~1982年 U.S.

ワシントン州のコロンビア河沿いのはずですが、どこか思い出せません。たぶん北のゲバースファームかオービルフルーツのバンテージファームのどちらかだと思うのですが??
どこかわからないことで、益々妄想が膨らみます。

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野豚は強きを助け弱きをくじき、しかもNHKは思い切りオブラードをかけるか。

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by nshimaafrica | 2012-08-22 18:58 | 派米農業研修生(USA) | Trackback | Comments(0)