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2019年 01月 23日

お腹を減らしたら何だって美味しくなる


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昨日定山渓温泉へ日帰り入浴をした。
真駒内駅前からスケジュール通りに運行する9時50分発のミニバスに乗って前回の通り。
ひと浴びしてから、昼食は2階の広い大広間ある食堂で、
丼や麺類など定食を含め一通りのメニューからカツ丼を頼んだ。
特別おいしくわけでも不味いわけでもなく普通。お腹は満たされただけだった。
外食などめったにしないので、家で食べない料理にすべきだったと後から思ったが、
とは言え、特別美味しそうに思える品もない。
基本的にあまり代わり映えなどしない。
仮に札幌の街へ出かけても、どこのアイスだろうが、寿司だろうが、ラーメンだろうが大して違いはない。
そんな微妙な味の変化なんぞどうでもいい。

そんな俺でも、アメリカのユタ州の田舎や、カリブ海のトバゴ島の中華料理とか、
ナミビアのウィントフックのドイツ料理とか、どうしたらこれだけ糞マズくできるのだろうと思ったこともある。
今でもすぐに思い出せるくらいまずかった。

長い旅行で日本食の看板を見て我慢が出来ず、オーストラリアのダーウィンでつい店に入ったしまったことがあった。
注文し、寿司桶に、直線に並んだ寿司を見てショックを受けた。
給仕をしていたのは、ノーザンテリトリー大学に在籍していた日本人の女学生だった。
寿司が直線に並ぶわけないだろうに、とせめて外人のオーナーへ教えてやってもよかったろうに。

外国の見知らぬ所では、どうしようもない味だとしでも相対的に日本食の価値は上がる。

国内でその意味で価値を上げたいなら、単純にお腹をできだけ減らすこと。
食欲を高めたら何だって美味しくなる。

オーストラリア:1999年年末、カカドゥ国立公園 Australia

by nshimaafrica | 2019-01-23 15:07 | ★たべもの | Trackback | Comments(0)
2019年 01月 19日

辺見庸『こころの時代~宗教・人生~「”在る”をめぐって」』


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血まみれの惨劇に染まっていない人間はいない。

さとくん以外、何故生まれてきたなどと不躾な質問をする者がいない。

きーちゃんにとって「在る」「無い」はどちらでもいい。

きーちゃんとさとくんは、感情がむき出して合致した。

優生思想は当事者になっていない。皆、その外にある。
辛さの飛沫を浴びることはない。

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存在は哀しい。つまりわからない。善悪を持ち込めない。

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想念が存在を自由にする。

静けさの向こうに死の世界がある。それを了解している。
確実に「消失」nowhere が迫ってくる。

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さとくんときーちゃんは同じ。

宇宙を存在させる「弱い力」がさとくんときーちゃんを創り上げた。

「与死」--殺してしまうこと。終末医療の考え方。
国家が人の死を決定していいのか。「与死」を我々は肯定してしまっている。
死刑は、ある意味で反対なき殺戮である。

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「在る」は、意味、意義がない。しかたがない。安倍も天皇も皆もそうである。

「在る」なら「こうしなければならない」とするのが、国家の考え方である。

存在物に意味を強要や剥奪をしてはいけない。

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言葉が気持ちわるくなっている。言い逃れを認めてしまうこの社会が気持ちわるい。

最も弱い物の声を聞くことは、宇宙の残響を聞くことかもしれない。

さとくんを正当に反論するなら、死刑にしてはいけない。

朝の夜露の美しさは、さとくんから出てきたものかもしれない。
血飛沫かもしれない。



by nshimaafrica | 2019-01-19 21:04 | ★映画、テレビ | Trackback | Comments(0)
2019年 01月 16日

冬の藻岩山とミュンヘン大橋

天気もいいし普段つけない滑り止めをつけて近くを歩き回ってみた。
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by nshimaafrica | 2019-01-16 16:50 | 2013年5月21日以降 | Trackback | Comments(0)
2019年 01月 12日

世界ネコ歩きと日光浴

BSの世界ネコ歩き(メキシコ)を見ていたら、具合のわるい猫が日なたぼっこをして回復を待っているとの解説があった。

聞いたことのあるフレーズだと思った。

少なくとも自分が知っている範囲の南部アフリカでも見聞きしたからだ。
1980年代、90年代の話である。現在どう変わったのかは知らない。
それは猫ではなく、現地の人達だった。
特にマラリアに罹患してから回復を促す方法が日向ぼっこだった。
最初は何をしているのか理解できなかった。
日常周りでよくみかけるので、何回も同じ質問をしてみた。
何故うずくまっているのかと尋ねると、太陽の光を浴びることで病状がよくなる、毎度の答えだった。
当時、極めて一般的な民間の対症療法だったと思う。

番組での岩合氏コメントは、おそらくは過去のタンザニアでの経験から得た着想ではないかと勘ぐっている。



by nshimaafrica | 2019-01-12 10:55 | ★映画、テレビ | Trackback | Comments(0)
2019年 01月 08日

今でもはっきりと記憶しているニュース

1980年の何月かは忘れた。
今でもはっきりと記憶しているニュースがある。
NHKの夕方の放送だった。
アメリカのニューヨークで奇妙な症状の病気が発生しているとの内容だった。
病名も治療方法もわからないとの事だった。
心に引っかかったのか何故か強い印象が残った。
あと付けの印象や記憶では断じてない。アメリカへ旅立つ前の時期だったと思う。

1984年1月から1986年1月までアフリカのザンビア共和国ですごした。
当時、エイズの事が現地で蔓延していたなどと少しも認識していなかった。
ただザンビア人が「スリム病」と呼ぶ伝染病が存在することを何となく気づき始めていた。
その頃、自分が住んでいたアパートの敷地内に住む警備員の姿を見ないなと思った矢先、
人づてに2週間後亡くなっていたことを知った。
それから普段の生活や周りで見かける人間が急にいなくなり、
後から死んでいたなどという出来事を何度も経験した。

少しずつ事情が具体的になってくる。次第にやせ細り、具合がわるくなり、最期には死に至る。
しかも治療方法がわからないとのことだった。
1980年の頭の片隅に残っていた記憶が蘇って、ついに眼の前の事実と重なった。

ただ、いつからアフリカが発祥の地であることを知ったのか思い出せない。

帰国した1986年以降、思い出せる数名の日本人が亡くなったのを伝え聞いた。
治療方法が確立される前の時代だった。



by nshimaafrica | 2019-01-08 18:48 | ★健康、病気、事故 | Trackback | Comments(0)
2019年 01月 03日

遅れたけど、明けましておめでとう

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by Jo



by nshimaafrica | 2019-01-03 21:59 | 2013年5月21日以降 | Trackback | Comments(0)