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2019年 09月 10日

ナミビア:1997年8月~2000年9月 ナミブ砂漠から大西洋へ抜ける Nambia

ビデオから掘り起こしたこんな写真があった。


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by nshimaafrica | 2019-09-10 01:03 | 1986年-Malawi | Trackback | Comments(0)
2019年 06月 07日

南部アフリカの雨季を急に思い出す

死ぬ前にどこへ行きたいかと言われて、南部アフリカの雨季を急に思い出した。
湿った空気、だが不快ではない、静かだ。
首都ルサカからムフリラへコーチバスで戻った時間を思い出す。
道の両脇は、十分な水分を吸いこんだ青々とした草が眩しかった。
半分疲れたような、でもシャープな光は日本に存在しない。




by nshimaafrica | 2019-06-07 16:53 | 2013年5月21日以降 | Trackback | Comments(0)
2019年 01月 12日

世界ネコ歩きと日光浴

BSの世界ネコ歩き(メキシコ)を見ていたら、具合のわるい猫が日なたぼっこをして回復を待っているとの解説があった。

聞いたことのあるフレーズだと思った。

少なくとも自分が知っている範囲の南部アフリカでも見聞きしたからだ。
1980年代、90年代の話である。現在どう変わったのかは知らない。
それは猫ではなく、現地の人達だった。
特にマラリアに罹患してから回復を促す方法が日向ぼっこだった。
最初は何をしているのか理解できなかった。
日常周りでよくみかけるので、何回も同じ質問をしてみた。
何故うずくまっているのかと尋ねると、太陽の光を浴びることで病状がよくなる、毎度の答えだった。
当時、極めて一般的な民間の対症療法だったと思う。

番組での岩合氏コメントは、おそらくは過去のタンザニアでの経験から得た着想ではないかと勘ぐっている。



by nshimaafrica | 2019-01-12 10:55 | ★映画、テレビ | Trackback | Comments(0)
2019年 01月 08日

今でもはっきりと記憶しているニュース

1980年の何月かは忘れた。
今でもはっきりと記憶しているニュースがある。
NHKの夕方の放送だった。
アメリカのニューヨークで奇妙な症状の病気が発生しているとの内容だった。
病名も治療方法もわからないとの事だった。
心に引っかかったのか何故か強い印象が残った。
あと付けの印象や記憶では断じてない。アメリカへ旅立つ前の時期だったと思う。

1984年1月から1986年1月までアフリカのザンビア共和国ですごした。
当時、エイズの事が現地で蔓延していたなどと少しも認識していなかった。
ただザンビア人が「スリム病」と呼ぶ伝染病が存在することを何となく気づき始めていた。
その頃、自分が住んでいたアパートの敷地内に住む警備員の姿を見ないなと思った矢先、
人づてに2週間後亡くなっていたことを知った。
それから普段の生活や周りで見かける人間が急にいなくなり、
後から死んでいたなどという出来事を何度も経験した。

少しずつ事情が具体的になってくる。次第にやせ細り、具合がわるくなり、最期には死に至る。
しかも治療方法がわからないとのことだった。
1980年の頭の片隅に残っていた記憶が蘇って、ついに眼の前の事実と重なった。

ただ、いつからアフリカが発祥の地であることを知ったのか思い出せない。

帰国した1986年以降、思い出せる数名の日本人が亡くなったのを伝え聞いた。
治療方法が確立される前の時代だった。



by nshimaafrica | 2019-01-08 18:48 | ★健康、病気、事故 | Trackback | Comments(0)
2018年 08月 09日

BS海外ドキュメンタリー「ママ・コロネル」と呪術

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昨晩、夜中から始まる海外ドキュメンタリー「ママ・コロネル」を見た。

コンゴ民主共和国(旧ザイール)キサンガニで警察に勤務するタフな女性警察官の日常を追う。
2000年頃に発生した戦争犯罪被害者やDV被害の子供たちのため、
シェルター運営に関わる様々な出来事を取り上げていた。

キサンガニは、地図からすると広大なコンゴ盆地の低地に位置するようだ。
34年前に住んでいたザンビアの隣国といえどもとんでもなく、
果てしなく遠い土地だろうと頭でわかっている。
違う言語、生活圏の人達であろうと推測できる。

当時はザイールと呼ばれていた。国境を少し越えてみたが、
フランス語が全く理解できずすぐに引き返した覚えがある。

最近のドキュメンタリーにもかかわらず、以前と比べても画面が醸し出す生活スタイル、
表情、雰囲気が似ていることや、何かしら細部にサブサハラで共通する点があることに驚いた。
特に印象に残ったのは、何十年経っても、基本的に呪術の世界が紛れもなく存在していたことだ。
人々が同じ呪術を受け入れるレセプターを共有している様子などが、相変わらずなのだ。

日本も同じ。数十年前まで、狐憑きがあり、現代に至っては何のことはない「新興宗教」などに形を変えているにすぎない。
呪術と共通する要素が日本人にしても変わらず存在する。
つまり基本的に地域差などあまりない。

時間の経過にしても同じだ。
人としての進歩などギリシャの哲学者がなんやかんや悩んでいた時代、
2000年前だろうが3000年前だろうが比較しても大して進歩していないことは確かだ。
だから戦争も起こるし誰もが下らないことでやはり悩む。
ただ「様々な技術やその効率」だけが恐ろしく進歩した点が異なる。

現代の薬におけるプラシーボ効果なんてどうだろう。
正に呪術を共通項とする精神構造とあまり変わらないのではないかと妄想する。

ザンビアなどでは、魔法陣のように、泥棒よけに窓や入り口に「呪い」「魔除け」を鶏などの生贄を使っていた。
「呪い」「魔除け」をかけたという「噂」が広がれば、実際に泥棒が侵入できなくなるのだ。

つまり集団催眠のような効果が実際にある。同じレセプターを持つ者どおしにはある程度効果が期待できる。
俺の知る限り、これは事実だ。
西洋のエクソシスト、悪魔祓いなども見かけが洗練されているだけで本質はほとんど同じだと思う。

そこに全くの部外者がズカズカと入りこんだ場合がほとんど漫画だ。
全く効果がないのだから。

マラウイ:見えなかった泥棒1 リロングウェ1997年8月~2000年9月 Malawi



by nshimaafrica | 2018-08-09 10:14 | ★溜まった妄想 | Trackback | Comments(0)
2018年 06月 13日

絵はがきにされた少年  藤原章生

どうしてこの本を読んでみようかと思ったのは、
辺見庸のブログで藤原章生について述べた部分があったからだ。
早速図書館から単行本を借りて読んでみた。
アフリカ、特にサブサハラ諸国を取り上げたエッセイ集。

そもそもアフリカと一括りすること自体に無理があるのだが、
アフリカという言葉が醸し出す最小公倍数のようなエッセンスが詰まっている。

色々な国があり、国情が違っているのは確かだが、一方、
他の大陸にはないが、アフリカ大陸に共通する要素があると、
ある程度生活した経験がある人なら、たぶん自然に納得できるだろう。

逆にアフリカの空気を吸わずに、このエッセイの中で取り上げる内容がどれだけ理解できるのだろうか。

取材先の様々な人達のリアクションが予想、事前に想像する回答と全く異なる----、
いかにもアフリカなのだ。意外性の裏側を解説してくれる。頷く。

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by nshimaafrica | 2018-06-13 21:34 | ★音楽、本、DVD | Trackback | Comments(0)
2017年 11月 04日

結構大きなダンボール箱だった

彼の顔は未だにちゃんと覚えている。
名前はもう思い出せない。

彼はいわゆる日本でいう所の上級の国家公務員だった。
高級住宅地の一軒家に家族とともに住んでいた。
それだけで十分人も羨む生活だった。

職場の中で順番が回ってきたこともあり、
やっとのことで日本へ研修で行く機会を得た。
だが、その時、既にある病に冒されていた。
アフリカ発祥の病気とも言われているあの病気だ。

たぶん、本人もその自覚があったであろう。
検査は条件に含まれていなかった。
含めていけなかったのだ。
せっかくの機会を逃したくなかったのだろう。
周りの彼に関わる人間は、婉曲に辞退することを望んだが、
彼は受け付けなかった。
自分の意志を押し通した。

日本へ渡り、当初の3ヶ月はなんとか持ったようだが、
その後急激に衰弱し、やむおえず帰国することになった。

帰国便は、何故か首都ではなく二番目に大きいB市に着いた。
たまたま用事で首都のL市からB市へ車で出張中だった日本人Mさんが、
空港で出迎えた。

3、4時間かかってMさんとともに彼はL市に戻ることができた。
自宅に着いた時、すでにとっぷりと日が暮れていた。
玄関の薄明かりの中にちらりと見えたのは、
結構な大きさのダンボール箱だった。

1ヶ月後、彼は帰らぬ人となった。

真新しい日本製のテレビが残った。




by nshimaafrica | 2017-11-04 17:15 | 1986年-Malawi | Trackback | Comments(0)
2017年 09月 23日

結局どこにでもいる

人付き合いの苦手な俺でも、かつて仕事で止む終えず係らなければならなかった奴がいた。
火の気のない所に、火をおこし煙をたててボウボウ燃やすのに、
怪文書をFAXで流すのが得意技のようだった。
ボールペンではなく筆ペンを使い縦書きする念の入れようだった。

人を値踏し、自然に保身へ走るように行動し、妄言を吐くのが身についていた。
権威、権力にへつらい、自分より弱いと判断した場合、恫喝した。
正に強気を助け、弱気をくじくのを自然な行動とした。

社会的にステータスが低いとされる人の場合、迷惑は限定的で見方を変えれば滑稽である。
しかしながら、そうでない連中、
つまり、小中高にいる学校の先生でなく「先生」と呼ばれるのが大好きな連中がいる。
逆に「先生」を奉るのが大好きという連中も同時に必ず存在する。

会社の中の営業と得意先の関係ぐらいの理不尽しか知らなかった俺が、
一段上のいやらしさに遭遇する機会などそれまでなかった。

その後、実際に係ってから初めて世で噂される意味を知った。

昆虫採集と犬が好きだったが、今もなお生きているか知らない。どうでもいい。

今思うのは、サイズの大きさ、異なる業界においてさえ、同じようなメンタルを持つ輩がいることに、
改めて呆れている。結局どこにでもいるのだ。

虫唾が走る。だが、経験で身に着けたのは、避けることだ。

但し、虫唾が走るような輩が国家権力を持つのは困る。

終わってしまう。

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by nshimaafrica | 2017-09-23 10:11 | ★溜まった妄想 | Trackback | Comments(0)
2017年 09月 18日

安普請の家と固定電話

台風18号が北海道に近づいている。大雨が降りそうだ。

20年程前、アフリカのマラウイで住んでいた家の中ではは、一旦雨が降り出すと、
トタン屋根を叩く雨のせいで会話が出来ないほどうるさくなった。

安普請の家かきちんとした家のつくりかは、雨季に入らないと見分けがつかない。
乾季にいい住宅と思えても、雨季に雨が激しくなるとうるさいだけでなく、
雨漏りが必ず始まる。チョロチョロした雨漏りが、1ヶ所だけでなく数カ所へ広がっていく。
よくぞ漏電しなかったなと思い返している。

当時、雨は固定電話の繋がり具合へ間違いなく影響を及ぼした。

ある十数年前のドキュメンタリーの中で、アフリカからイギリスへ移住した腐敗政治家の奥さんが、
電話の会話中、都合の悪い話になると「電話の音が聞こえにくい。雨のせいかも」と言った。
その言い訳に大笑いしてしまったことがある。
イギリスで雨が降っても、電話が繋がりにくくなることなど絶対にありえないことを全く知らず、
自分の今までの常識で誤魔化そうとしていたのだ。

たぶん、現在は固定電話のから携帯やスマホの時代へほぼ確実に変わっているので、
雨が降ると固定電話が繋がりにくい問題は、解消というより避けられていると想像できる。
現在の情況はどうなのだろうか。


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by nshimaafrica | 2017-09-18 11:07 | 1986年-Malawi | Trackback | Comments(0)
2017年 08月 20日

世界中のFMが聞こえる「 Radio Garden 」とナミビア

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インターネットを使えば「 Radio Garden 」のように視覚的に世界中のFM放送を探せる。
本当に便利な世の中になったものだ。
世界各地で流れている音楽が、自分の勝手なイメージと随分違うことに驚く。

ナミビアなどは、英語の他にドイツ語放送も行われている。
旧宗主国と旧植民地の関係もわかりやすく、
たぶん今でもバカンスの為にドイツからの直行便が飛んでいるはずである。
街の中の標識もまた、英語とドイツ語が併記されていた記憶がある。

アフリカでは、英連邦の国々に接する機会が多かったので、
ナミビアの街並みを初めて見た時、その違いに気がつき驚いた。

空港の雰囲気がまず違う。無駄がなく効率的だった。
首都のウィントフック市内の歩道、車道の区割りや全体の造りが、
イギリス植民地と全く違った。
部屋のドアノブ一つとっても違う。

ナミビアの旅は、快適だったが、なんとも言えない違和感が残った。
何年も経ってドイツを旅した時に、それが何だったのかはっきりとわかった。




by nshimaafrica | 2017-08-20 09:34 | ★映画、テレビ | Trackback | Comments(0)