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2019年 07月 30日

卵の白い黄身と胴回りが白いカラス

どうでもいいことだが、テレビの料理番組を見てたら昔を思い出したので書き留めておこう。

三十数年前のザンビアで流通していた卵の卵黄は、白色だった。
黄身が白いのである。
卵黄の黄色は、色素であるキサントフィルとカロチンを含む飼料から生まれるらしい。
当時、ザンビアで与えられる餌は、ハイブリッドの黄色ではなかった。
自家採種の白いデントコーンだった。
黄色の卵黄ではなくなるのは当然だ。
救いだったのは、ケージではなく平飼いが多かったことだ。

カラスは全身真っ黒ではなく、胴回りだけ白かった。



by nshimaafrica | 2019-07-30 18:40 | 1982年6月-Zambia | Trackback | Comments(0)
2019年 04月 06日

過冷却のビールを思い出した

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過冷却とは wikiによると、「たとえば液体が凝固点(転移点)を過ぎて冷却されても固体化せず、
液体の状態を保持する現象。水であれば摂氏零度以下でもなお凍結しない状態を指す。」らしい。

動画を見ていて思わず思い出した。忘れないように書き留めておこう。

1984年から1986までザンビアに住んでいた時、なんども経験したのだが、
日本では一度もないのが「過冷却」だ。
今から思い出し、考えてみて初めてその理屈を納得する。

冷蔵庫を開け、中からビールなどを取り出すと、突然、中の液体であるビールが瞬時に凍結してしまう。
凍ったビールは、もちろんカチンコチン。飲めはしない。
だが、まれにシャーベット状になる場合は、独特な味になり非常に冷たく美味しいのだ。
不思議な経験だった。
冷蔵庫の性能に影響があったのかどうなのか未だによくわからない。



by nshimaafrica | 2019-04-06 11:28 | 1982年6月-Zambia | Trackback | Comments(0)
2019年 01月 08日

今でもはっきりと記憶しているニュース

1980年の何月かは忘れた。
今でもはっきりと記憶しているニュースがある。
NHKの夕方の放送だった。
アメリカのニューヨークで奇妙な症状の病気が発生しているとの内容だった。
病名も治療方法もわからないとの事だった。
心に引っかかったのか何故か強い印象が残った。
あと付けの印象や記憶では断じてない。アメリカへ旅立つ前の時期だったと思う。

1984年1月から1986年1月までアフリカのザンビア共和国ですごした。
当時、エイズの事が現地で蔓延していたなどと少しも認識していなかった。
ただザンビア人が「スリム病」と呼ぶ伝染病が存在することを何となく気づき始めていた。
その頃、自分が住んでいたアパートの敷地内に住む警備員の姿を見ないなと思った矢先、
人づてに2週間後亡くなっていたことを知った。
それから普段の生活や周りで見かける人間が急にいなくなり、
後から死んでいたなどという出来事を何度も経験した。

少しずつ事情が具体的になってくる。次第にやせ細り、具合がわるくなり、最期には死に至る。
しかも治療方法がわからないとのことだった。
1980年の頭の片隅に残っていた記憶が蘇って、ついに眼の前の事実と重なった。

ただ、いつからアフリカが発祥の地であることを知ったのか思い出せない。

帰国した1986年以降、思い出せる数名の日本人が亡くなったのを伝え聞いた。
治療方法が確立される前の時代だった。



by nshimaafrica | 2019-01-08 18:48 | ★健康、病気、事故 | Trackback | Comments(0)
2017年 10月 07日

サント・ヴィクトワール山からバングウェル湖の湖畔まで

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子供の頃、掘りごたつで足を火傷したころだった。
たぶん、4歳か5歳かその頃だろう。
家はまだ茅葺の屋根で建て替える前だった。
田舎の話だ。

黒い板の壁に山の絵が貼ってあった。
薄暗い古いタイプの間取りだった。
誰がカレンダーの写真なぞ貼ったのかよくわからない。

今から思い出すと間違いなくセザンヌの「サント・ヴィクトワール山」だった。
使い古したカレンダーの絵を切り取っていたのだろう。

知らずに見たこともない景色が頭の中へプリントされ、そのまま静かに沈んでいった。
家の周りの山と似ても似つかないのに、
原体験のような錯覚を持ってしまった。

小中学校くらいの記憶か。ずっと新しくなる。
リンゴ畑の小屋にカレンダーの風景写真が数枚貼ってあった。
母親が貼ったのだと思う。
ヨーロッパのどこかだった。イタリアかスペインかドイツかギリシャか、
どうであれ遠い国の風景に思いをはせたのだろう。
生きずらい田舎の現実から離れるための、
絶好の清涼剤か小道具になったはずだ。

1985年頃か。
サンビア、バングウェル湖の湖畔に建っていたゲストハウスの中に
ノルウェーのフィヨルドの大きなポスターが数枚貼ってあった。
たぶんノラド(NORAD)の連中が置き土産に置いていったのだろう。

ザンビアにいながら、はるか彼方の北欧がすぐ目の前に広がる錯覚がした。



by nshimaafrica | 2017-10-07 08:40 | USA以前、1980年迄 | Trackback | Comments(0)
2017年 09月 02日

勘の強い知り合いがいた

散歩していたら、こんな人もいたなんてふと思い出した。

霊感らしき勘の強い知り合いがいた。
彼女によると人の背後に煙が立つのが見えるらしい。
煙には色がついており、その強弱が運命に作用するとのことだ。

普通の人が見えない「何か」を受信する能力が高いのだろうと思う。

また、同じ環境や似た感性を持つ者どおしは、暗示がかかりやすい。


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by nshimaafrica | 2017-09-02 18:12 | 2013年5月21日以降 | Trackback | Comments(0)
2017年 06月 30日

1984年に購入した木彫り

ジンバブウェのどこで購入したか思い出せないとのこと。

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本州に住んでいたなら、たぶんカビだらけになったか、孵化し始めたかもしれない。
太鼓はザンビアの観光土産用だが、皮の質感が気になる。そこがいい。


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by nshimaafrica | 2017-06-30 09:11 | 1982年6月-Zambia | Trackback | Comments(0)
2017年 05月 09日

熱帯の紅葉

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冬、日本へフィリピンから来たお客が、妙なことを言い出した。葉のない枝を見て「枯れているから生きていない」と思い込んでいたのだ。実際に枝を折って枝の断面を見せ、死んでいないこと、ちゃんと生きていることを示した。秋に落葉し、冬に備える落葉植物を想像できなかったのだ。フィリピンは熱帯の島なので、いつも緑に覆われている常緑植物からそう思ったのだろうか。逆の立場で考えると、俺はフィリピンへ行ったことがないから、何故そう思ったのかよくわからない。30年ほど前の話。

カリブ海、熱帯のトリニダード島の場合、乾季から雨季への移行が遅れて、山全体が黄色に紅葉することがあった。同じことがアフリカ、亜熱帯のザンビアでも同じだった。乾季が深まると、茂み全体が黄色に変色することがあった。遠目に見ると紅葉した林にしか見えなかった。たぶん、植物自体が生き残るために「離層」をつくり出し、葉を落とし、自己保存を図るのでは、と勝手に想像し、勝手に解釈し、たぶん正しいだろうぐらいの認識だった。真偽はわからない。

熱帯、亜熱帯でも、ある特定の時期に「紅葉」のように見える状態になる。試しに画像検索で、「乾季 熱帯の紅葉」と入れてみたら熱帯の紅葉の写真が出てきた。


1985年のザンビア、ムフリラ
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by nshimaafrica | 2017-05-09 20:32 | 2013年5月21日以降 | Trackback | Comments(0)
2017年 05月 02日

心配は杞憂に終わった

1984年当時のムフリラ市内 当時は写真を自由に撮れなかった 隠れて撮影 
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来年還暦になる。常日頃きちんと歯を磨いても、治療をしても、数か月でまたどこか壊れてしまう。この数年間で何度歯医者へ足を運んだだろうか。右側を治せば左側、上側を治せば下側、とキリがない。噛みしめがひどく、必ずどこか壊れていく。まだ治療の選択で抜歯まで至ったことはないが、近いうちにそうなる可能性が毎年高まっている。一旦一本抜歯をしたら、噛みしめがひどいので、残りは総くずれになることに疑いはない。

海外で初めて歯の治療を受けたのは、1984年のザンビア、コッパーベルト州ムフリラ市でのことだった。ムフリラ市は露天掘りではない地下の銅鉱山が有名だ。マイン(鉱山)地区と呼ばれる地域には、市内で唯一歯科治療設備の整ったクリニックがあった。利用していたのは、ある程度お金があるか鉱山で働いている人達だった。

ザンビアに来て数か月した経っていない時期だった。食事中、奥歯の詰め物がぽろっと外れたのがわかった。これはヤバいと思った。日本へ帰国するまでまだ1年半は残っていた。治療で病気をうつされるのではないかと心配したが、背に腹はかえられない。どうにもこうにも仕方ない。意を決し、信頼できるであろう歯医者へ行った。

設備もきちんとしているように見えた。インド人の医師だった。心配は杞憂に終わった。たぶん15分くらいで済んだと思う。その後、治療した歯に何事も起こらなかった。


by nshimaafrica | 2017-05-02 09:36 | ★健康、病気、事故 | Trackback | Comments(0)
2017年 04月 21日

ローマ地区 ルサカ ザンビア 1984年1月~1986年2月 Zambia

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市内に必要な水道水の絶対供給量が少なかったらしく、個人が掃除機のような仕組みの装置を自宅に設置し、水道管の中に停滞する水を自分の所へ吸引し高床のタンクに確保していた。事務所と称していたが、民家を借り上げた建物だった。道を挟んで清水建設があった。玄関の隣の茂みの中にカメレオンが住んでいたのはルサカだったか、キトウェだったか、水タンクについても、ザンビアだったかマラウイだったのか、かなり記憶が混ぜこぜになっている。

1980年代、衛星放送のための巨大パラボナアンテナは存在していなかったはず。


写真は1999年のルサカ感傷旅行、マラウイから



by nshimaafrica | 2017-04-21 17:19 | 1982年6月-Zambia | Trackback | Comments(0)
2017年 04月 09日

1985年のジンバブエ、真紫のジャカランダ、 Zimbabwe

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ジンバブウェはまだ表面上きちんと機能していた。ハラレで借りたレンタカーはマツダファミリア。
写真の町はたぶんルサぺ、最初に泊ったのはムタレだった気がする。
ジャカランダの紫が信じられないほど美しかった。




by nshimaafrica | 2017-04-09 01:33 | 1982年6月-Zambia | Trackback | Comments(0)