人気ブログランキング |

nshima.blog

nshima.exblog.jp
ブログトップ

タグ:マラウイ ( 143 ) タグの人気記事


2016年 06月 09日

米のこと(昔を思い出す)

a0183811_11564998.jpgふと思い出したので、書き留めておこうと思う。

1980年から1982年、アメリカの農場で酷使されていた頃は、カリフォルニア米が主食だった。品種改良されて当時から十分おいしく、SAFEWAY、Kmart(注1)など大手のスーパーマーケットで容易に手に入った。もちろん日本米と同じジャポニカ種。

1984年から1986年にいたアフリカのザンビアで何を主食にしていたかといえば、いわゆる「援助米」だった。何故米を、しかもインディカ米ではなくジャポニカタイプを手に入れることができたかといえば、単純に国営スーパーマーケット(注2)で売られていたからだ。援助は、直接対象者に対する援助以外は、政府が海外からもらって国内で売って当該政府が収入を得るのが普通であり、たぶん多くの日本人に誤解されている部分ではある。それはともかくとして、基本的にそもそも現地の人は米を食べる習慣などなかったのだ。

当時ザンビア国内でモノ不足だったとはいえ、米を食べる人など誰もいなかったのだ。彼らの主食はトウモロコシの粉(注4)だった。そこでたまたま「米食い」の日本人が買っただけのことである。一袋のサイズは忘れてしまったが、かなり大きめ(注3)、2年間計2袋で十分だったことを覚えている。但し古米だったが十分に美味しかった。後から知ったことだが、奇妙なことに俺の周辺で知る限り、首都のルサカ、他の大きめの地方都市にもそんな援助米など出回っていなかったらしい。ザンビアのある田舎町に偶然残っていたわけだ。さらに何故援助米と判断できたかといえば、「JAPANESE FOOD AID」と袋の表面にプリントしてあったからだ。

1997年から2000年までいたマラウイでは、オーストラリア米(ジャポニカ)を入手できた。97年頃までは何故かオーストラリア米がマラウイ国内で手に入ったのだ。98年頃から出まわらなくなった。なかなか手に入らなくなり、結局、南アの小さな商社を通じてオーストラリアから米を輸入し食い繋いだ。

以降は、「米食い」の国々(トリニダード・トバゴ、ベトナム)だったので、スーパーマーケットで全く問題なく米を購入できた。

(注1)古き良き?時代の典型的スーパーマーケット。当時、近隣の町にウォルマートなどなかった。

(注2)国営スーパーマーケット略称(ZCBC)、Zambia Consumer Buying Corporation。当時、ザンビアの各地方都市には必ずと言っていい程あった国営店舗。

(注3)日本の一俵(60kg)に近かったかもしれない。

(注4)ザンビア人、マラウイ人の主食はハイブリッド(雑種第1代)の甘いトウモロコシ(スウィートコーン)などではなく、白い餌料用トウモロコシ(メイズはイギリス式呼称、デントコーンはアメリカ式)に似た食用トウモロコシ粉(ウーファと呼ばれる)。もちろんトウモロコシ種子は品種改良されているが雑種第一代、いわゆるF1ではない。生産者は、毎年種苗業者から購入する必要もなく採種、播種が可能である。調理された料理をnshima(ンシマ)と呼ぶ。

アフリカ東部南部の旅行者ブログを読むと、様々な誤解に基いて書かれていることに気がつく。

その頃の経済事情等
ザンビア:ザンビア通貨≧米ドルだった頃 1984年1月~1986年2月 Zambia
ダウントン・アビーDownton Abbey を見てマラウイを思い出す

にほんブログ村 全世界情報

by nshimaafrica | 2016-06-09 12:10 | ★たべもの | Trackback | Comments(0)
2016年 02月 08日

ダウントン・アビーDownton Abbey を見てマラウイを思い出す

a0183811_10232787.jpg
当時1997年頃、マラウイでの借家が広すぎて妻一人で全て掃除することなどとても無理なことだった。仕方なく家政夫を雇っていた。映画マーズ・アタックの宇宙人とそっくりな初老の男だった。その家政夫は以前、イギリス人の下で働いていた経験もあったようだ。人を雇ったことなどそれまで一度もなかったので、雇用し始めた頃、様々な場面で戸惑うことに出くわした。彼は独断と確信に基づいてこれはこう、それはそうと判断してくれた。だが、首をかしげる場面もまた少しずつ増えていった。

彼の常識は昔覚えたことが「絶対」であり、正しい「作法」だったとは、かつての「ご主人様」の言いつけだったのだろう。マラウイの独立以前、まだイギリスの植民地ニアサランドと呼ばれた時代から身につけてきた生きるための知恵だったのかもしれない。後から次第にわかってきたことは、自分は他のマラウイ人と異なった身分なのだと勝手に思い込んでいたことだ。日本でもどこでもそうだが、勝手に他人に対し上下をつけてしまう奴が必ずいるものだ。同じ他のマラウイ人を見下し、隣国のザンビア人をさも全てお見通しの如く泥棒連中と決めつけていた。つまり自分の立ち位置を完全に勘違いしていた。無知の上に全てが成立していたことになる。

ある日、彼との立ち話の中でマラウイ人の主食である白い甘くないトウモロコシの粉(ウーファ)と調理済後(ンシマ)nshima のことが話題になった。トウモロコシがマラウイに持ち込まれる以前、ここの人は何を主食にしていただろうとふと疑問になり口に出してみた。原産は中央アメリカだからイギリス人が持ち込む前は東部、南部アフリカにトウモロコシは存在しなかったはず、と俺は言った。

彼は目を丸くして驚いた。そんなことはありえない。マラウイラジオ放送(MBC)に聞いてみると息巻いていた。彼にとってラジオ放送が最も権威あるものだった。

ダウントン・アビーのドラマに展開するような、身分、慣習、タブー等全てが、植民地先へ持ち込まれていたのだと最近になって改めて思い知った。


a0183811_16415042.jpgウーファは、どちらかと言えば飼料用デントコーンに近いトウモロコシ粉。スィートコーンではない。尚、コーンは米語、イギリス英語ではメイズ。
写真は調理後の出来上がり。ンシマ nshima と呼ばれる。時間が経つと固くボソボソになるから熱いうちに頂く。

チキンやビーフの油っぽいスープとともに食する。非常においしい。ンシマ自体は淡白な味、だからこそ主食になりうると思われる。

「ンシマ」はザンビアやマラウイでの呼称

レイプという野菜

にほんブログ村 全世界情報

by nshimaafrica | 2016-02-08 10:47 | ★映画、テレビ | Trackback | Comments(0)
2016年 01月 27日

生魚を車で運ぶ方法 マラウイ

a0183811_2015923.jpg生魚を車の中に入れておけば、魚臭くなって臭いがなかなか取れにくくなる。ヘタすると臭いが原因で廃車にしかねない程だ。それほどキツい。16年以上前、アフリカのマラウイで仕事をしていた頃に経験したことだ。魚臭のことについて全く知らず、マラウイ湖から首都リロングウェに戻る際、運転手の友達の魚を車内に入れて移動してしまって大変な目にあったことがある。

魚を運ぶには、車のサイドミラーに吊り下げる方法がある。

ふと思い出した。
a0183811_20144384.jpg

にほんブログ村 全世界情報

by nshimaafrica | 2016-01-27 20:18 | 1986年-Malawi | Trackback | Comments(0)
2014年 07月 11日

「モカシンテレグラフ」からマラウイを思い出す

a0183811_1131312.jpg先日のアラスカ、ユーコン川筏下りの講演の中、ネイティブインディアンの件があった。何年か前のカヌーでの川下りの際、同行した連中と酒を飲むために2000ドル分のアルコールを購入してから出発したらしい。販売店の周りにたむろしていたインディアンがその様子を見ていたらしく、下る先々で地元のインディアンの船が近づいて来たとの事。酒を一杯積んでいるそうだななどと言われ、つまり酒を所望され彼らに気前よく上げたのだそうだ。その年、日本人はよくもてたとの事だった。どこをどうやって伝わるのか不思議だが、そんな事を指して「モカシンテレグラフ」などと呼ぶなどという話だった。

どこかで聞いたことがあるようなエピソードだと思った。ふと思い出したのは、マラウイでの出来事だった。随分前の話だが、似たような現象だった。

アフリカのマラウイのような小国でさえ、北から南まで何百キロもある。当時、もちろん携帯電話は普及していなかった。1990年代末でも、通常の電話回線が時々不通になった。まして雨季になると頻繁に切断される状態になったものだ。つまり簡単に連絡がとれなくなった。実際、マラウイから隣国ザンビアへ衛星電話を使って連絡したことがあった。

だが、葬式の伝達だけは驚くほど素早かった。親戚が住む遠隔地への連絡が何日も取れらないといった事態にはまずならなかった。当たり前のようにまもなくして伝わるようだった。マラウイという国のインフラのレベルを考えると驚異的だった。確実に北から南、南から北へと情報が伝わっていた。具体的に何日間でとか、は忘れてしまったが、とにかくその伝達の速度に何度も驚いた記憶がある。後から葬儀が「マラウイ人の一生の中で最も重要な儀式」であることを知った。共有される情報の価値が高ければ高いほど、人から人への伝わり方も総じて速いのである--たぶん。


にほんブログ村 50歳代にほんブログ村 全世界情報人気ブログランキングへ

by nshimaafrica | 2014-07-11 11:48 | ★溜まった妄想 | Trackback | Comments(0)
2013年 06月 17日

マラリアのこと その1:マラウイ 1997年8月~2000年9月 Malawi

忘れてしまうことはありえないのだが、言葉にして記録として残しておこうと思う。

乾期か雨期か、季節は思いだせない。事件は急に起こった。ある週末の朝方だった。どんどんと裏口のドアが叩かれた。マラウイ在住日本人実業家MMさん宅で働いているマラウイ人の若者が、突然たずねてきたことを使用人のンペタさんが伝えてきたのだった。若者本人が家の前まで来ていると言う。何が起きたのか直接、尋ねたが詳しいことが今ひとつはっきりと理解できない。事情が呑み込めなかった。しかし何かどんでもないことが起きたことは確かだった。ンペタさんが現地語であるチェワ語を英語に通訳してくれた。だいたい理解できたことは、雇い主の日本人MMさんの具合がわるくなり、急遽インド人クリニックに入院したこと、知り合いである日本人医師GI氏がどこに住んでいるかを知りたいとのことだった。若者に近くに住むGI氏の住所を教えるとすぐ様、その場を離れていった。

これからどうしたらいいかを妻と相談し、MMさんの様態を確かめるために、とりあえずリロングウェ市内のシティーセンター近くにあるプライベートのインド人クリニックへ行ってみることにした。聞いたことのないクリニックだったが、外見が真新しく、白い平屋の建物と看板をすぐに見つけることができた。他の日本人は誰もまだ集まっていなかった。週末の朝だったことを思い出した。

突然、絶叫が病棟の奥から聞こえてきた。遠くから覗いてもキニーネの点滴チューブに繋がれているのがわかった。看護婦が脇に寄り添っている様子だった。やはりマラリアだった。手足が激しく痙攣していた。いつも見かける柔和なMMさんの表情は一変していた。マラリア原虫が血液の中で爆発的に増殖していることは明らかだった。明け方入院したらしく、その時までに、すでにかなり症状が悪化していたらしい。インド人医師はここでできる治療は100%行っていると明言した。今晩が山場になるかもしれないとも言った。十数年前にザンビアでも遭遇した症状と全く同じだった。

にほんブログ村 50歳代
にほんブログ村 全世界情報
人気ブログランキングへ

by nshimaafrica | 2013-06-17 16:16 | ★健康、病気、事故 | Trackback | Comments(0)
2013年 05月 13日

海抜の違いについて 南部アフリカの場合

a0183811_9534294.jpg

ポール・セローの「ダークスター・サファリ」を読み続ける。ポール・セローはマラウイ南部からからモザンビークへ南下して国境を越えるのだが、どれだけタフな旅行をしているのかと、ちょっと想像しても空恐ろしくなる。1000m以上の高原からモザンビークの海抜0mに近い地域まで下がることになるからだ。つまり快適な気温から多湿高温地帯まで一気に高度を下げていくことになるからだ。季節にもよるが、比較的涼しい時期と言われる時期に、知り合いがマラウイ南部の低地の町ンサンジェ(Nsanje)まで出張したが、あまりにも暑くてほうほうのていで首都リロングウェまで逃げ帰ってきたことがあった。またンサンジェに住んで病気になってしまった人も知っている。

リロングウェからわずか100kmしか離れていないマラウイ湖近くの町サリマまでちょっと高度を下げてさえ、十分暑いと感じる。高原のマラウイの首都リロングウェなどは天国のようだ。とはいえ、暑い、暑くないなどというのは比較の問題だ。マラウイの隣国ザンビアのキトウェのあるコッパーベルト地帯などは1600m位だったのだから、ザンビアの首都ルサカ(1300m)に上京した時でさえ暑いと感じたものだった。そのルサカとリロングウェを比較した場合、リロングウェの方が暑く感じる。同じ首都で考えると、南の隣国ジンバブウェの首都ハラレの方が海抜の他に緯度の高さも加わり、ルサカやリロングウェよりもずっと涼しく快適だ。比較的人口の多い場所は、それだけ住むにはいい場所と考えられる。

ジンバブウェ:ハラレへの道 1984年1月~1986年2月 Zimbabwe

にほんブログ村 全世界情報人気ブログランキングへ


by nshimaafrica | 2013-05-13 09:50 | ★溜まった妄想 | Trackback | Comments(0)
2013年 05月 11日

「ダーク・スター・サファリ」 カイロからケープタウンへ、アフリカ縦断の旅 ポール・セロー

a0183811_1259851.jpg作者ポール・セローの名を初めて知った理由が思い出せない。たぶんハリソン・フォード、ヘレン・ミレン、リバー・フェニックスらが出ていた1986年の映画「モスキート・コースト」の原作者だったからかもしれないし、アメリカのピース・コーとしてアフリカの小国マラウイで教師をした経験のある作家だったからかもしれない。

カイロからケープタウンへ、アフリカ縦断の分厚い旅行記だ。時期は2001年1月から5月までの5ヶ月間。図書館から借りてきたばかりでまだ読み始めたばかりだ。普通に順を追って最初から読んでいるわけではない。最も身近である途中のマラウイの部分から始めたが、もう夢中になっている。マラウイの空気、臭いが諸に伝わってくる。俺自身が実際に肌で感じていたようなことが、これでもか、これでもかと執拗に繰り返される。半分罵詈雑言に近い感想は、辛辣だが的を得ている。マラウイ人に対する、あせり、怒り、歯がゆさなどが手に取るようにわかる。一見、傲慢にも見えるが、それだけ若かりし日に教師として過ごした「マラウイ」という風土、人々が好きなのだと思う。

ポール・セロー が完全に思い違いしている箇所がある。マラウイ人の主食であるシマの原料となるトウモロコシ、つまりハイブリッド(雑種第1代)が、アメリカから援助されている現状が書かれていた。しかしながら、毎年農家自身で次年度のために自分の畑のトウモロコシから採種できないような種子へ移行するように仕向けたのは、元々アメリカの援助政策だ。アメリカの種苗会社の支援を受けたアメリカ人の農業専門家だったのだ。マラウイの貧しい農家は毎年、ハイブリッドの種子を種苗会社(カーギルやモンサント) から買うはめになってしまうのが現実だ。前年の現金収入が少ないと、余裕がなく貧しくて次年度の種子が買えない状態に陥る。しかも肥料代も在来種よりずっとかかるし、旱魃にも弱い。ハイブリッドではない従来の在来品種の栽培を続けていれば、どうにか生きていけるし、極端な飢餓に陥ることもなかった。そんな背景をポール・セローは全く気が付いていない。俺の近所に住んでいたアメリカ人がその筋の専門家だったのだから。

プラス翻訳がいい。

にほんブログ村 全世界情報人気ブログランキングへ

by nshimaafrica | 2013-05-11 09:50 | ★音楽、本、DVD | Trackback | Comments(0)
2013年 05月 10日

パッションフルーツ

a0183811_014034.jpgパッションフルーツ を初めて食べたのは、1985年、旅行先のマラウイ、ゾンバでのことだった。知り合いの家に泊まった時に、食べてみないかと勧められた果物だった。勧めた本人も正式な果物の名前を知らなかった。少し「味の素」っぽい酸味の強い味だった。それから12年後、マラウイに赴任して再びこの果物を食べる機会が持てた。トリニダードでも食べたらしいが、はっきりと思い出せない。ベトナムに住んでいる間は、大型スーパーマーケットBig Cで毎週20個以上まとめて買い食べていた。店で売られている時点ですでに萎びていた。酸味と同時に甘みも濃厚だった。少し表面が萎びてしわが現れるくらいが、パッションフルーツの一番おいしい食べ方ではないかと気がついた。表面がツルツルの状態で食べると、どうしてもアミノ酸の「味の素」味が舌に残ってしまう。しわしわの状態になると、それが消えてなくなり、強い酸味はそのままに甘さが増し、えもいわれぬ おいしい味へと変化する。

にほんブログ村 全世界情報人気ブログランキングへ

by nshimaafrica | 2013-05-10 00:03 | ★たべもの | Trackback | Comments(0)
2013年 04月 30日

ザンビア、ルサカへの感傷旅行 1999年

a0183811_1664782.jpg
リロングウェからザンビア、ルサカへの感傷旅行 1997年8月~2000年9月 Malawi
リロングウェからザンビア、ルサカへの感傷旅行 1999年9月 Malawi

ナセルロードからパモジホテル
a0183811_1664022.jpg
マーチンコート
a0183811_1663251.jpg
a0183811_1662421.jpg
ローマ地区
a0183811_1661435.jpg
カイロロード

にほんブログ村 全世界情報人気ブログランキングへ

by nshimaafrica | 2013-04-30 16:13 | 1986年-Malawi | Trackback | Comments(0)
2013年 04月 18日

「アライアンス(Alliance)」「イリジウム(Iridium )」衛星電話のCM:マラウイ1997年8月~2000年9月 Malawi

南部アフリカの国々をカバーする衛星放送に流れていた当時のテレビコマーシャルをふと思い出した。英語でGoogleとYouTubeを利用して検索してみたが、どうしても探しきれなかった。15年ほど前の外国のコマーシャル情報なので覚えている人がいても、アップする人などまれなのかもしれない。世界各地を結ぶ衛星電話の普及を目的にしたCMだった。たびたび流れてくる当時のメロディーと映像が精神状態とシンクロして、知らずに知らずに口ずさんでいたことを思い出した。

はっきりとしないが、「アライアンス(Alliance)」「イリジウム(Iridium )」がキーワードのはずだった。海外を行き来するビジネスマンが、出張先から遠く離れた娘に衛星電話する設定の映像だった。つまり、衛星電話はありがたいから是非ご利用してくださいみたいな筋書きだったと思う。

YouTubeで当時の映像を見つけられるかもと試したが無理だった。経営がうまくいかず倒産した会社だったからかもしれない。このまま遠い記憶の中へ埋もれてしまうのか。誰か教えてほしい。

にほんブログ村 全世界情報人気ブログランキングへ

by nshimaafrica | 2013-04-18 00:39 | ★パソコン、衛星テレビ等 | Trackback | Comments(0)