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2017年 11月 04日

結構大きなダンボール箱だった

彼の顔は未だにちゃんと覚えている。
名前はもう思い出せない。

彼はいわゆる日本でいう所の上級の国家公務員だった。
高級住宅地の一軒家に家族とともに住んでいた。
それだけで十分人も羨む生活だった。

職場の中で順番が回ってきたこともあり、
やっとのことで日本へ研修で行く機会を得た。
だが、その時、既にある病に冒されていた。
アフリカ発祥の病気とも言われているあの病気だ。

たぶん、本人もその自覚があったであろう。
検査は条件に含まれていなかった。
含めていけなかったのだ。
せっかくの機会を逃したくなかったのだろう。
周りの彼に関わる人間は、婉曲に辞退することを望んだが、
彼は受け付けなかった。
自分の意志を押し通した。

日本へ渡り、当初の3ヶ月はなんとか持ったようだが、
その後急激に衰弱し、やむおえず帰国することになった。

帰国便は、何故か首都ではなく二番目に大きいB市に着いた。
たまたま用事で首都のL市からB市へ車で出張中だった日本人Mさんが、
空港で出迎えた。

3、4時間かかってMさんとともに彼はL市に戻ることができた。
自宅に着いた時、すでにとっぷりと日が暮れていた。
玄関の薄明かりの中にちらりと見えたのは、
結構な大きさのダンボール箱だった。

1ヶ月後、彼は帰らぬ人となった。

真新しい日本製のテレビが残った。




by nshimaafrica | 2017-11-04 17:15 | 1986年-Malawi | Trackback | Comments(0)
2017年 08月 28日

穴を掘らずにいられない Dogs can't stop digging holes.

近くの公園を散歩すると、かわいい犬達と毎日会える。
特に柴犬が多く、ソフトバンクで有名な北海道犬(実はアイヌ犬)もたまに見る。

「犬」と言えば、柴犬、爺さん婆さん、「ここ掘れワンワン」のイメージが同時に湧いてくる。

ザンビアで飼っていた「ジェシー」はメス犬で、当然柴犬ではなかった。
元々引き継いだ犬なので洋風の名前がついていた。
イギリス人が持ち込んだ犬の末裔と思われる。

犬が土を掘り返すとはいえ、人が楽に入れるほどの大きさの穴を簡単に掘り起こすとは夢にも思わなかった。

子供を産んだ途端性格が変わってしまった。
いつのタイミングかどうか忘れたが、あっという間に玄関のセメントの土台の横を掘り出し始めた。
すぐ飽きて掘るのを止めるかと思いきや、気がつくと1m以上の大きさの穴を簡単に開けてしまった。
掘り出した赤茶けた残土が小山のようになった。
そのまま放っておけば、完全にセメントの土台が空洞になり、
今にもベランダが落ちるかもしれないと心配した。

犬は穴を掘りたくてしかたがなくなるということを、その時まで知らなかった。


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by nshimaafrica | 2017-08-28 08:08 | ★ワンコ、ニャンコの類 | Trackback | Comments(0)
2017年 08月 07日

ふと口にした言葉

google mapから
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マラウイでのある責任者がふと口にした言葉が今でも忘れられない。日本人だ。その地位で働くのだからもちろんそれなりの実績を積み上げてきた人間である。だが、彼は決して思慮深くはない。
物事を抽象的に捉えるタイプではない。仕事を終えて一人暮らしにしては大き過ぎる借家へ帰ると、真っ先に卵と食べる実益を兼ねて飼う鶏たちの世話、それにゴルフが趣味だった。家族は日本へ残していた。

その彼が俺が働いていた施設の視察に久方ぶりにやってきた。一通り見終わった後、施設を取り囲む煉瓦塀のすぐ外側に掘立小屋を勝手に建てて警備係として生活する家族に気がついた。子供が裸足で地面に座り、炊事のために薪を燃やしていた。マラウイならどこでも普通に見られる光景だった。

「あの家族と俺たちは何が違うのだろう?、何も違わない。たまたま生まれた場所が違うだけだ」

そんな言葉が強く印象に残った。本人が考えたというより、どこからか仕入れてきた言動かもしれなかったが、
そんなことはどうでもよかった。正しいと思った。
ちょっとしたさじ加減で、違う場所に生まれ、目の前にあるような生活をしていたのかもしれない。
第三世界なら尚更それが露骨に感じる。あまりに日常に慣れすぎて想像力が欠落していたことに急に気づかされた。

いつの世も第三世界と言わずとも日本も含め、世界中であらゆる現象に不条理が満ち満ちている。
インターネットが世界中に普及するにつれ、皆が自分の立ち位置に気が付きだした。これは大きな変化。

・・急に思い出した。

自分自身にあのマラウイ人家族のようなたくましい生活力があるかと問われれば、甚だ疑問だ。

1998年


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by nshimaafrica | 2017-08-07 09:17 | 1986年-Malawi | Trackback | Comments(0)
2017年 06月 30日

バオバブの実 とハイシーA 1997-2000年

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リロングウェからマラウイ湖へ下り、サリマの町へ近づくとバオバブの樹が急に右側に現れる。
(グーグル画像:リロングウェへ向かう方向なので左側に見える)

そもそもハイシーAと聞いて、ピンと来るならそれなりの古い世代の人に違いない。
もしもあの味を知っているなら、バオバブの実の味が正にそれである。
どうして、どうしてと思うほど、味がそっくり。不思議な味だ。
初めて口にした時、驚きと脳味噌の奥にしまっておいた懐かしい味を思い出した。


by nshimaafrica | 2017-06-30 23:45 | 1986年-Malawi | Trackback | Comments(0)
2017年 06月 11日

座席についたきり記憶がない

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1997年の話。

午後出発予定だったリロングウェ発ロンドン行きは、機材故障によって翌日に時間がずれた。
予定は完全に狂った。だが、どうしようもない。
リロングウェ市内で最も高級とされるキャピタルホテルで宿泊することになった。

ブリティッシュ・エアウェイズが諸々を負担することになる。
スーツケースを部屋に置き、晴天も下、誰もいないプールサイドでくつろいでいた。
自分の都合では絶対に立ち寄らないホテルだったが、一泊ぐらいなら滅多にない機会ぐらいに考えていた。
ホテルに知り合いがいるわけでもなく、エリア3の自宅へ戻るにしても余計なタクシー代もかかる、
ただひたすら時間が過ぎるのを待つしかなかった。時間が永遠に続くような錯覚。
翌朝、集合の時間になってもシャトルバスが出発する気配はなかった。さらに部屋で待機。
結局、午後3時くらいになってついに空港へ出発した。まる24時間以上遅れることになった。

空港に着いても、さらに待たされた。原因の機材故障は回避できなかった。
最終的に、直行便だったはずが、一旦、南アフリカ、ヨハネスブルグ空港へ飛び
便を乗り換えることになった。どうこうしているうちに夕方になってしまった。
薄暗い中、着陸した中型機は、今まで見たこともないマークのデザインだった。
南アフリカ航空の機体だった。
ブリティッシュ・エアウェイズがチャーターし、急遽、南アから飛んできたようだった。

ようやく搭乗できた頃、既にとっぷりと闇に包まれていた。

みるみる間にマラウイは離れていく。空港以外、地上にほとんど明かりは見えない。
時間の経過がわからない。暗闇の地上が急に明るくなってきた。南アのボーダーを過ぎたのか
オレンジ色の街灯の1本1本がはっきりと見えた。水銀灯なのだろうが、すべてオレンジ色だった。
地上が明るいことに驚いた自分に気がついた。不思議な気分だった。

ヨハネスブルグ発の席に座ったきり記憶がない。夕食をとらなかったことに気がついたのは、翌朝だった。


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by nshimaafrica | 2017-06-11 07:37 | 1986年-Malawi | Trackback | Comments(0)
2017年 01月 19日

記憶に残る匂い

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ドキュメンタリー「殺人者34万人の帰郷~ルワンダ虐殺22年目~」の中に出てきた花を見て、昔、マラウイのリロングウェに住んでいた家の庭にあったある植物を思い出した。雨季か乾季かは定かではない。ただその期間、日が暮れて夜になるとかなり強烈な香りが漂っていた。最初は何の匂いか、どこから臭ってくるのかわからなかった。頭がクラクラするような香りは記憶の奥底にしっかりと残っていた。

Queen of the night --地元ではそう呼ばれていた。ネットで調べると様々な呼び方があるようだ。



by nshimaafrica | 2017-01-19 22:44 | 2013年5月21日以降 | Trackback | Comments(0)
2013年 06月 17日

マラリアのこと その1:マラウイ 1997年8月~2000年9月 Malawi

忘れてしまうことはありえないのだが、言葉にして記録として残しておこうと思う。

乾期か雨期か、季節は思いだせない。事件は急に起こった。ある週末の朝方だった。どんどんと裏口のドアが叩かれた。マラウイ在住日本人実業家MMさん宅で働いているマラウイ人の若者が、突然たずねてきたことを使用人のンペタさんが伝えてきたのだった。若者本人が家の前まで来ていると言う。何が起きたのか直接、尋ねたが詳しいことが今ひとつはっきりと理解できない。事情が呑み込めなかった。しかし何かどんでもないことが起きたことは確かだった。ンペタさんが現地語であるチェワ語を英語に通訳してくれた。だいたい理解できたことは、雇い主の日本人MMさんの具合がわるくなり、急遽インド人クリニックに入院したこと、知り合いである日本人医師GI氏がどこに住んでいるかを知りたいとのことだった。若者に近くに住むGI氏の住所を教えるとすぐ様、その場を離れていった。

これからどうしたらいいかを妻と相談し、MMさんの様態を確かめるために、とりあえずリロングウェ市内のシティーセンター近くにあるプライベートのインド人クリニックへ行ってみることにした。聞いたことのないクリニックだったが、外見が真新しく、白い平屋の建物と看板をすぐに見つけることができた。他の日本人は誰もまだ集まっていなかった。週末の朝だったことを思い出した。

突然、絶叫が病棟の奥から聞こえてきた。遠くから覗いてもキニーネの点滴チューブに繋がれているのがわかった。看護婦が脇に寄り添っている様子だった。やはりマラリアだった。手足が激しく痙攣していた。いつも見かける柔和なMMさんの表情は一変していた。マラリア原虫が血液の中で爆発的に増殖していることは明らかだった。明け方入院したらしく、その時までに、すでにかなり症状が悪化していたらしい。インド人医師はここでできる治療は100%行っていると明言した。今晩が山場になるかもしれないとも言った。十数年前にザンビアでも遭遇した症状と全く同じだった。

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by nshimaafrica | 2013-06-17 16:16 | ★健康、病気、事故 | Trackback | Comments(0)
2013年 05月 11日

「ダーク・スター・サファリ」 カイロからケープタウンへ、アフリカ縦断の旅 ポール・セロー

a0183811_1259851.jpg作者ポール・セローの名を初めて知った理由が思い出せない。たぶんハリソン・フォード、ヘレン・ミレン、リバー・フェニックスらが出ていた1986年の映画「モスキート・コースト」の原作者だったからかもしれないし、アメリカのピース・コーとしてアフリカの小国マラウイで教師をした経験のある作家だったからかもしれない。

カイロからケープタウンへ、アフリカ縦断の分厚い旅行記だ。時期は2001年1月から5月までの5ヶ月間。図書館から借りてきたばかりでまだ読み始めたばかりだ。普通に順を追って最初から読んでいるわけではない。最も身近である途中のマラウイの部分から始めたが、もう夢中になっている。マラウイの空気、臭いが諸に伝わってくる。俺自身が実際に肌で感じていたようなことが、これでもか、これでもかと執拗に繰り返される。半分罵詈雑言に近い感想は、辛辣だが的を得ている。マラウイ人に対する、あせり、怒り、歯がゆさなどが手に取るようにわかる。一見、傲慢にも見えるが、それだけ若かりし日に教師として過ごした「マラウイ」という風土、人々が好きなのだと思う。

ポール・セロー が完全に思い違いしている箇所がある。マラウイ人の主食であるシマの原料となるトウモロコシ、つまりハイブリッド(雑種第1代)が、アメリカから援助されている現状が書かれていた。しかしながら、毎年農家自身で次年度のために自分の畑のトウモロコシから採種できないような種子へ移行するように仕向けたのは、元々アメリカの援助政策だ。アメリカの種苗会社の支援を受けたアメリカ人の農業専門家だったのだ。マラウイの貧しい農家は毎年、ハイブリッドの種子を種苗会社(カーギルやモンサント) から買うはめになってしまうのが現実だ。前年の現金収入が少ないと、余裕がなく貧しくて次年度の種子が買えない状態に陥る。しかも肥料代も在来種よりずっとかかるし、旱魃にも弱い。ハイブリッドではない従来の在来品種の栽培を続けていれば、どうにか生きていけるし、極端な飢餓に陥ることもなかった。そんな背景をポール・セローは全く気が付いていない。俺の近所に住んでいたアメリカ人がその筋の専門家だったのだから。

プラス翻訳がいい。

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by nshimaafrica | 2013-05-11 09:50 | ★音楽、本、DVD | Trackback | Comments(0)
2013年 04月 18日

「アライアンス(Alliance)」「イリジウム(Iridium )」衛星電話のCM:マラウイ1997年8月~2000年9月 Malawi

南部アフリカの国々をカバーする衛星放送に流れていた当時のテレビコマーシャルをふと思い出した。英語でGoogleとYouTubeを利用して検索してみたが、どうしても探しきれなかった。15年ほど前の外国のコマーシャル情報なので覚えている人がいても、アップする人などまれなのかもしれない。世界各地を結ぶ衛星電話の普及を目的にしたCMだった。たびたび流れてくる当時のメロディーと映像が精神状態とシンクロして、知らずに知らずに口ずさんでいたことを思い出した。

はっきりとしないが、「アライアンス(Alliance)」「イリジウム(Iridium )」がキーワードのはずだった。海外を行き来するビジネスマンが、出張先から遠く離れた娘に衛星電話する設定の映像だった。つまり、衛星電話はありがたいから是非ご利用してくださいみたいな筋書きだったと思う。

YouTubeで当時の映像を見つけられるかもと試したが無理だった。経営がうまくいかず倒産した会社だったからかもしれない。このまま遠い記憶の中へ埋もれてしまうのか。誰か教えてほしい。

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by nshimaafrica | 2013-04-18 00:39 | ★パソコン、衛星テレビ等 | Trackback | Comments(0)
2013年 03月 26日

アリババのピザ:リロングウェ マラウイ1997年8月~2000年9月 Malawi

a0183811_0183518.jpg首都リロングウェ、オールドタウンのニコセンター近くに「アリババ」という小さなスーパーマーケット兼レストランがあった。オーナーがレバノン人で、開店したのは、1998年だったと思う。娘が通っていた小学校に店のオーナーの娘が転校してきた。はっきりと記憶に残っている。そのことよりもレストランのピザがうまかったことが印象深い。土日の昼に軽く食事をする店としてちょうどよかった。メニューの種類には色々とあったが、大概ピザを注文していた気がする。

後にイタリアやニューヨークを含む様々な旅先で、ピザを食べた覚えがあるが、正直言って、この店のピザが今まで食べた中でも一番おいしい。そんな馬鹿な、気のせいだと言われたら、そうですねとしかいいようがないが。たぶん、ある一定期間、たまたま美味しいピザが出されていたのかもしない。そんな理由をつけたくなるほど、おいしかった。



by nshimaafrica | 2013-03-26 00:21 | ★たべもの | Trackback | Comments(0)